おっさんの仏教メモ

仏教をいろいろ考えるおっさんのメモ

中身がある人は威張らない

下記の本から引用です。

 

一分で読むブッダの教え

一分で読むブッダの教え

 

 

中身がある人は威張らない

稲は豊作になると、曲がって曲がって地面のほうに垂れてきます。対して、カラの稲はまっすぐ伸びていきます。稲穂がしっかり成長していっぱい中身が入っている稲は、美しく曲がって地面を見ます。下を見るのです。

人間も同じで、人格がそなわって中身があると威張りません。威張るということは中身がないということです。

 

仕事柄、人に会うことが多いです。

不思議なもので、その道の権威とか、仕事でも究めたところまでやっている人とか、学問でも仕事でも、すごい人というのは、謙虚です。落ち着いてます、威張ってません、気さくです、ユーモアが好きな方もいます。

 

「たとえば〇〇の権威」という方にお会いする機会がある場合、「すごい方なんだろうな、なんて話しかけようかな・・・」と心配になりますが、いざ、おしゃべりしてみると、拍子抜けするくらい、気さくで楽しかったりします。

 

 

また、アインシュタインのことを知らないで、近所の少女が数学を教わっていた話は有名ですよね。

ウイッキより

  • ノーベル賞受賞後、ニューヨークである少女に数学を教えていたことがあった。少女の母親が、娘の家庭教師がアインシュタインと知って、慌てて彼の元を訪れたが、そのとき彼は「私が彼女に教える以上のことを、私は彼女から教わっているのだから、礼には及びません」と返答した。

 

 

 

なぜなんでしょう?

 

面白いもので、学問でも仕事でも中途半端な人って、威張ってます、気さくじゃないんです謙虚でもないです。

 

勝手な想像ですが、中途半端な人格、人間性だと、やることなすこと中途半端なんでしょうね。

 

結局、人間性、人格に尽きる、という話です。

当たり前のことですが、分けへだて無く人に接する。ということです。

 

お釈迦さまも、出家には、厳しく、とてつもなく難しい話をしましたが、一般庶民の在家の話を聞いてあげたり、やさしく、わかりやすく、質問に答えたり。

 

当たり前のことを、当たり前にやるということなんでしょうね。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。

 

インスタントな幸せの作り方

根本仏教講義より

根本仏教講義、11.幸せの分析 (4)インスタントな幸せの作り方 (No59)

 

家族や人間関係の悩みって、よく聞く話です。

一番身近な悩みですね。

いろいろな心理カウンセラーや、克服するためにいろいろな方法が巷にはあります。

 

いろんな悩みがありますが、結局、悩みを手放したくないんでしょうね。

次から次へと作って。

 

上記法話では、長老は悩みについて、バッサリです。

引用です

大変苦しい、悩みが大きい、人生に悩んでいる、家族の問題で悩んでいる、会社でうまくいかない、友人関係に問題がある…そういう人には、それはあなたのせいですよと言いたいのです。問題を作ったのは、あなたではないのですか、ということです。  そこで、インスタントな方法としては、いきなり民主主義者になればいいのです。すべての生命それぞれに自由があるのだと。私も自由だし、みんなも自由だ。「私」が人にいちいち言われるのが嫌ならば、「私」も人にいろいろなことを言いません、失礼なことは言わない、相手が傷つくことは言わない。そう決めれば、その瞬間に問題は解決するはずなのです。それほど大変なことではありません。

 

 

「いきなり民主主義」

個人の人格を認めて尊重することだと思います、口では言うけどやらないのですね。

やらないから、結局、自分が苦しくなる。

 

「私の妻」「私の子」ではなくて、「私たちは夫婦関係です」「私たちは親子関係です」が正しいです。

 

所有物ではありませんから・・。

 

 

私の見解で恐縮ですが

仏教のインスタントは3つですね

 

いきなり民主主義

 

仏教とななんぞや、というと下記に尽きます。

「一切の悪を犯さないこと。善を行うこと。こころを清らかにすること」

 

慈悲の冥想の徹底

短い時間で簡単にできます、けっこう心に効きます。

 

 

あと、以前もインスタントについて書いてました

oldmanbuddhist.hatenablog.com

 

 

 

ほんと、仏教は実用的で便利です。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

 

一番を目指して生きる 「最高」の論理的な定義

パティパダー巻頭法話からです。

詳しくは下記をお読みください。

巻頭法話(114) 一番を目指して生きる 2004年8月

 

一番というと、スポーツで一番とか、勉強で一番とか、仕事が一番できるとか、一番高い地位とか、財産を一番持っているとか、よく聞く話ですね。

 

一番は最高なのでしょうか?

 

仏教は世俗的な「一番」とか「最高」には言及しません。

それでなくても、生きることは苦なのに、世俗的な「一番」や「最高」を得るためにする努力や、維持する努力は、すごく大変なんだろうな、と思います。

「苦」が増えなければいいのですけど。

 

 

で、仏教でいうところの「最高とはなにか?」です。

まずは「得」

どうせ生きていくなら、損する人生はいやです、得をしたいですね。

お釈迦様は「最高の得は健康です」と説きます。

健康を損なうのは損です、やりたいことができなくなりますから。

 

次は「財産」

「満足こそが最高の財産と説きます。

お金が欲しい、欲しいにはキリがありません、満足していないのでしょう、満足、足ることを知らないと、どれだけ財産があっても、渇きをいやすことはできません、満足しないと苦しいのでしょう。

 

引用です

物質的な財産に価値があるのではなく、それによって人が得られる満足感に価値があるのです。であるならば、人は、地球のあらゆるものを限りなく収集する無意味な行為より、わずかなものによってでも自分に満足できるように心の管理ができるのかということに気を付けたほうが良いのです。したがって仏陀が「満足こそ最高な財産である」と説かれたのです。

 

一番は「心の管理」になりますね。

 

 

次は「信頼」です。

本当に信頼できる方はいますか?

いたら、その方は親戚になります、血縁どうのこうのは関係ありません。

 

引用です

血縁関係、婚姻関係がなくても、信頼できる、協力してくれる人なら、末永く付き合うのです。そこで仏陀がこう答えられるのです。「信頼こそが最高な親戚です」と。たとえ一人二人でも、我々に信頼できる人がいれば、最高な親戚に巡り会っていることになるのです。

 

親戚や友人がたくさんいても信頼がなければ、最初から何も無いということです。

 

 

最後は「最高の幸福」ですね。

ここは「巻頭法話」をお読みください。

 

 

ポイントを引用します

 今回のポイント

  • 感情に支配されて生きることは、蜃気楼を追うようなものです。
  • 幸福・損得などを明確に定義すると、生きることは単純になります。
  • 「最高」とは何かと、真剣に考えた方が良い。

 

 

どうせ生きていくんですから「最高」とは何かと、考えたほうがいいですね。

 

 

生きとし生けるものが幸せでありますように

 

 

 

人が持って生まれる能力

下記の本から引用します。

P.80より

 

一日を変えるブッダの教え

一日を変えるブッダの教え

 

 

 

ここにもありました、全文を読むことができます。

パティパダー巻頭法話226より

巻頭法話(226) ひとが持って生まれる能力

 

 

引用です

ポイント

・思考は生きるための武器です。

・度を越した思考は危険です。

・悪思考は正思惟で置き換えるべきです。

・思考・妄想に悩まない心は軽いのです。

・煩悩が消えると思考、妄想の問題も消えます。

 

経典の言葉

 

この舟の 水を汲めかし いざ比丘よ

汲まば舟足 軽からん 貪り瞋りを捨てて疾く

汝は涅槃に至らなん        

ダンマパダ369

 

動物は人間と同じような思考能力はありませんが、必要以上のことはしません、かといて、きちんと一人前になって生きていきます。

 

人間はいろいろと思考します。

思考を自分の幸せ、周りの人々の幸せ、すべての人々の幸せのために使うべきなのでしょうが・・・。

 

現実は違いますね。

 

個人では、感情と思考をごちゃまぜにして、煩悩だらけの生活を送っている。

国家や民族や宗教では、争いが絶えない、人が死んだりもしてます。

こんなの、人間くらいです。

 

仏教では「生きることは苦」と説いてます。

生きてるだけでも苦なのに、行き過ぎた思考、溜めすぎた思考で苦の上塗りをしてます。

 

苦の上塗りに気づいたら、正しい思考について真剣に考えてみたらどうでしょうか?

 

「生きてるだけでも苦」「黙っていても苦」「なにやっても苦」なのですから、慈しんで、仲良く、協力することが大事だと思うのですが・・、ここに思考の使い道があると思います。

 

だったら、思考の整理整頓をして役に立たない思考は捨てる、ということです。

 

引用です

新しい例えを考えましょう。人の頭の上にいくらでも大きくなる鞄があるとしましょう。その人は手に入るものは何でも、その鞄に入れるのです。本人は幸せになるつもりです。しかし手当たりしだい何でも入れるので、鞄にたまたま役に立つものがあったとしても、ほとんどは何の役にも立たないゴミばかりです。幸福になるよりは、どんどん頭が重くなって、身動きできなくなることは確かです。それでも鞄に入れる癖を続ければ、自分自身が潰れてしまいます、私たちの思考の回転もこのようなものです、良かれと思って思考する・妄想する。

 

 

役に立たないものに塗れるより、どうせ得るなら、「最高」を得たいです。

「最高」を考えるべきですね。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。

観察しないと疲れる

想田監督との共著『観察』で、長老は「観察しないと疲れる、苦しい」とおっしゃってます。

 

観察  「生きる」という謎を解く鍵

観察 「生きる」という謎を解く鍵

 

 

長老にとって、観察は冥想であり、冥想は観察であり、もう日常です。

 

 

まだまだ、ここまでの境地はわかりませんが、でも、なんとなくわかります。

ヴィッパサナー冥想している間は、自分の妄想や煩悩に敏感になり、自覚できます。

自分の体にも気づきます。

日常生活の観察は、これもヴィッパサナーになります、長老は、ずっとヴィッパサナー状態なのでしょう。

 

観察しているときは、妄想にとらわれていません、煩悩から離れてます、貪瞋痴から離れてます、主観にとらわれた状態ではありません。

 

 

話は変わりますが、別の本からの引用です

 

一分で読むブッダの教え

一分で読むブッダの教え

 

もしかしたら、長老はこのような感じで観察しているのかもしれません。 

 

 

202ページ

変化するから面白い

「ずっと見ていると、どれも面白い」と言いたいのです。

寒くなると、サクラは片っ端から自分の葉を落としてしまうでしょう。私は枝しかないサクラを「ああ、眠っているな」と楽しく見ています。暖かくなると興奮したように花が咲く。はしゃいでいるみたいで、それも楽しい。あっという間に花が散るのも楽しい。その後には葉が出ているのを見るのも楽しい。うっそうと葉が茂っている様子も「自然を守ってくれているのだ」と嬉しく見ています。

 

無常の見方

すべて瞬間で消えて、別なものに変わるのだと観察して、欲に溺れないようにするのです。

楽しいことがあっても、直ちに変わるものだと思って冷静になる。

苦しいことがあっても、直ちに変わるものだと知って冷静になるのです。

 

 

 

このような感じだと、疲れるわけありませんね、むしろ楽しい。

 

観察が楽しい、という境地まで、まだたどり着いていませんが、練習を重ねて、自分の身の回りのことや出来事を楽しめるようになりたいです。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように

「お釈迦様」とか「仏教」とか「仏説」という単語を使ってほしくないです。

新聞と一緒にいろんなチラシが来てます、その中に葬儀に関するチラシがありました。

 

家族葬〇〇

450,000円

 

家族葬〇〇

250,000円

 

火葬、直葬

180,000円

 

直葬という言葉も最近当たり前になりましたね。

ウイッキーより

直葬[編集]

直葬(ちょくそう)とは、通夜・告別式等々の宗教儀式を行わず、火葬のみを行う葬儀形態のことである。 近年の日本で宗教観が変化したこと、人間関係の希薄化が進んだこと(さらに日本全体の高齢化の進行で、友人・知人がすでに他界していたり、友人・知人が概して高齢化し葬儀に来られない、という人々の数の増加など)、経済的な問題等により、2000年ころから都市部などで直葬が増加してきている。直葬は葬儀費用が平均で約18万円と安価である。NHKが2013年に行った調査によると、関東地方では直葬の比率は高く、葬儀全体の1/5を占めている。 [12]

 

 

この価格表には、お寺さま、お坊様が無いのです。

自分で呼んでくるか、手配しなければいけないみたいです。

面倒だったら、お坊様無しで、上記の価格で葬儀ができます。

 

 

お葬式につきもののお寺様、お坊様、読経、戒名はオプションなのですね。

葬儀屋さんのチラシには入ってないです。

 

 

で、気になったので調べてみます。

 

 

 

ある大企業で扱っているお葬式の価格です

 

火葬式

193,000円

上記にプラス45,000円のオプションで

「炉前読経、戒名授与(普通戒名)」ができます。

 

一日葬

343,000円

上記にプラス75,000円のオプションで

「告別式読経、初七日読経、炉前読経、戒名授与(普通戒名)」ができます。

 

家族葬

493,000円

上記にプラス150,000円のオプションで

「通夜読経、告別式読経、初七日読経、炉前読経、戒名授与(普通戒名)」

 

 

なんてわかりやすい価格なんでしょう。

 

 

さて、どこの宗派になるのかな?と思ったら

8宗派あるようです

ウイッキー「葬式」より引用

布施、葬儀の価格目安[編集]

イオンが、イオンカード保有者向けの葬儀社紹介サービスにて「お布施の価格目安」を打ち出したところ、全日本仏教会などの一部の仏教界が「お布施に定価はない。企業による宗教行為への介入だ」と反発している。しかし8宗派、全国約600の寺院の協力が得られることになった。平成22年7月2日付『産経新聞』は「目安とはいっても、大企業が発表すればそれが『定価』として一人歩きしてしまう恐れがある」(日本テンプルヴァン(JT-VAN)・井上文夫社長)と懸念するコメントと「消費者の立場からすれば、布施価格の明示はありがたいのではないか」(第一生命経済研究所・小谷みどり主任研究員)の肯定的なコメントの双方を掲載している。[26][27][28]

 

曹洞宗真言宗、お西、お東、日蓮宗、浄土宗、臨済宗天台宗

ほか、キリスト教神道も。

 

 

お葬式もお金を使うので、経済活動になります、大企業の経済活動にお寺が組み込まれるのは、仕方ないことなのかもしれません。

 

 

ただ、お釈迦様、仏教は、お坊様の経済活動を禁じています、これに背くのであれば、「お釈迦様」「仏教」「仏説」という言葉を使ってほしくないです。

 

こういった経済活動は在家みたいなお寺やお坊様が行っているのでしょうけど、お坊様みたいな恰好をして「お釈迦さま」「仏教」「仏説」を説くのでしょうね。

 

こういったお坊様に来てもらうくらいなら、お坊様抜きのお葬式プランがはるかにいいです。

 

お葬式は故人に対して遺族がどう敬意を表するか?、ですから、ここに仏教のたずさわり方をお坊様は真剣に考えないとですね。

 

oldmanbuddhist.hatenablog.com

 

生きとし生けるものが幸せでありますように

 

 

 

 

 

 

 

 

実践しました。「エゴなく物を片付ける冥想」

oldmanbuddhist.hatenablog.com

 

 

早速実践してみました。

意識しないと、案の定、デスクがえらいことになってます。

 

長時間デスクを離れるとき、意識して、ボールペンちゃん、はさみちゃん、書類ちゃん、消しゴムちゃん、はんこちゃん、定規ちゃん、手帳ちゃん、スマホちゃん、シャーペンちゃん、と名前をつけて、もとの場所に戻しました。

 

やはり、気分はおままごとです。

 

小さいころ、おままごとをやったのしょうが、覚えてません。

 

でも、複数でおままごとをするときって、お父さん役の子どもにご飯をあげたりとか、作るまねごとにしても、そんなとげとげしい気持ちではやりません。

 

「おままごと」は、穏やかな遊びだと思います。

 

デスクのモノたちに名前をつけて、そのモノの立場を考えてあげて、居心地のいいようにしまってあげる、という作業は、不思議と心穏やかというか、優しい気持ちになりますね。

 

頭悩まして仕事してると、心の状態も悪くなるので、心の状態を基に戻す、実用的ないい冥想だと思います。

 

物は試し

実践ですね。