おっさんは仏教徒

お釈迦様の教えは宗教ではありません、調べて、確かめて、実践する教えです

浄聖院様

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曹洞宗といえば道元さんなのです、入り口に、なぜか親鸞さんの像があります。

いただきものだそうです。

こういう宗派を超えて大雑把な感じ、大好きです。

 

 

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本堂の手前でおびんずるさんがお出迎え

びんずる」様、お釈迦様の弟子の1人ですが、知りませんでした・・。

 

日本では「おびんずる様」 撫でると除病の功徳があるということで・・

膝の痛い方は、おびんずる様の膝を撫で、肩のこる方が像の方を撫で。

私は頭が悪いので、おびんずる様の頭を撫でました。

みなさん、頭を撫でるのでしょう、ピカピカでした。

「なで仏」の風習ですね。

 

 

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 本堂です

曹洞宗のご本尊はお釈迦様ですが、この中に「阿弥陀様」もいらっしゃいます。

お釈迦様も阿弥陀様も仲良く、です。

おおらかで、良いです。

 

ふつうお寺は、本堂と生活する部分が離れているのですが、浄聖院様は小さなお寺ですので、本堂の横に客間があり、奥に台所があり、裏に部屋があり、上に部屋があります、本堂を囲むように住居スペースがあります。

 

お経、冥想、勉強、実践、法話はすべて大切なので、こういったことが、途切れることなく行うことができる、ちょうどいいお寺だと思いました。

ただ、大人数だと、大変かもしれませんが・・・。

 

ちょうどいい大きさで落ち着けるお寺でした。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように

 

やっぱり仏教徒は楽しい

上越市の浄聖院様のご尽力で、大阪から西澤先生をお招きしてアビダンマ勉強会。

 

論蔵について、詳しい先生をお招きして、みっちり勉強です。

 

西澤先生から、「仏教の日頃の実践や、冥想も大切だけど、勉強も大切です」

勉強の大切さを教わりました。

 

例えば、冥想等の修行すると、いろんな段階に進むことになりますが、ある程度の知識がなければ、これは正しい修行か?自分の今の位置は正しいのかこういった判断ができません、仏教の実践をする上で、自分を正しく把握するためにも、その知識や勉強は必要です。

 

私は、やる前から「もう、難しい!」と思っていたのですが、西澤先生の飾らない、ユーモアたっぷりの人柄に触れて、「なんとか、やっていけそう」という気持ちになりました。

 

みっちり、勉強し、茶話会の時間もたっぷりとっていただき、日頃、疑問に思っていること、先生への(仏教以外の・・)質問、お坊様の話、とても多岐にわたっていろいろお話しができました。

 

楽しかったです。

 

また、7月も勉強の予定です。

 

主催していただいた浄聖院様には、とても感謝です。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように

 

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「明日」はどうなるかわからない

ブッダの教え一日一話」より

 

「明日」はどうなるかわからない

 

幸福というのは、いまの瞬間に得るべきものです。

「明日、幸福になろう」とか「将来、幸福をつかもう」という人は、ずっとなれません。

そういう生き方は「いまの瞬間は不幸でもいい。今日は苦しんでもいい」ということです。

「明日」とか「いつか」というものは、どうなるかわからないのです。

 

 

 

ついつい、「明日やればいいや」とか、「明日は明日の風が吹く」とか「将来は待っている」とか、のんきなことを、つい思ってしまうのですが、仏教はそういったことは認めません。

 

 

明日といったところで、明日になる前に死んでしまう可能性もあるし、将来なんてわかりませんし。

 

まだ来ていない、不確定なことに希望を持ってしまうのでしょうね。

 

今の瞬間、いまパソコンで打っている、この瞬間をおおいに楽しみなさい、幸福になりなさい、ということなんでしょうね、パソコンのキーボードを打っている「この瞬間こそ」確実なことです。

 

過ぎ去った過去、まだ来てもいない未来、こんなことをグズグズ考えるんだったら、「確実な今」を楽しみなさいよ、ということでしょうか。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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行為は正直に

「一分で読むブッダの教え」より

 

行為は正直に

もらえるお金が少ないから仕事の手を抜くというのは、とんでもないことです。お金がもらえなくても、与えられた仕事は、プライドを持ってしっかりやるべきです。手抜きは、自分の人生の汚点になり、自分が損をしたことになります。

相手が認めようが、認めまいが、ご褒美をもらおうがもらうまいが、「やらなくては!」という気持ちでやることが大切です。自分の能力をぜんぶ使って精一杯やることは「行為に正直」という、立派なことなのです。

 

たいした人生じゃないけど、「汚点」はイヤです。

 

汚点というのは、、嘘とか怠けとか、良くない行為全般なんでしょうね。

 

自分がやったことの評価って、他人がします、自分は精いっぱいやるだけです。

いい評価、悪い評価は、その後の話です。

 

汚点を残さず、手抜きをせず、プライドを持って

自分の心にも良いのではないでしょうか?

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一切のかぶりものを取る

「ダンマパダ 一日一話」より

 

一切のかぶりものを取る

 

心の汚れを捨てていない人が、

黄褐色の法衣をまとって

自制しようとしないならば、

法衣にはふさわしくない

 

(ダンマパダ9)

 

インドでは、黄褐色の服は、仏教の僧侶だけではなく出家者が着ます。とても心が落ち着く色なのです。植物は枯れていくと黄褐色になっていきます。それは、すべては枯れ老いて滅びゆくことをあらわしています。出家者は、俗世を離れたので、その色の衣を着るわけです。

袈裟の言語は「カーサーバ」で、「黄褐色の衣」「アク、汚れ」という意味があります。俗世間を離れて袈裟を着ていても、心が俗世の汚れに満ちているならば、それは自分をも他人を欺いていることになります。その者は、袈裟を着るのにふさわしいとはいえません。

わたしたちは法衣を着なくても、「立派なかぶりもの」をつけようとします。

いろいろなかぶりものを身につけます。会社や組織の名前、肩書、学歴というかぶりものです。体の美しさや、才能や財産も含まれるでしょう。それは、ありのままの自分を隠そうとしたり、立派だと認めてほしいから着るのです。

外のかぶりものと、中身の自分との間に大きな隔たりがあれば、自分をごまかしていることになります。かぶりものに合わせて演技をしなくてはならないのです。

立派なかぶりものにだまされてはいけません。大会社の社長とか、一流大学の教授と名乗ると立派な人格者と思われます。しかし、それらは所詮かぶりもので、中身は普通の人間かもしれません。宗教の世界でも、立派な法衣を着ていて、あたかも聖者のように振る舞っていても、ほんとうの姿は違うということがよくあります。人減に必要なことは、外のかぶりものではなく内の心の清らかさです。心の清らかさとは、嫉妬、憎しみ、怒り、貪り、などで心が汚れていないことです。仏教では「捨てろ、捨てろ」と言います。それは「一切のかぶりものを取りなさい」ということなのです。

 

日本のお坊様は、我々と同じ在家なのです(妻帯、家族を持っています、お酒も飲みます)

 

だから、肩書を持って生活している我々とまったく同じです。

 

お坊様という肩書で仕事してます。

 

在家って、わかりやすいですね。

捨てるべきものも、はっきりしてるし。

いずれにしても、肩書はいつかは捨てるというか、離れていくものになります。

 

 

 

 

その一方で、テーラワーダ仏教の国々のお坊様は、世を捨てて出家されています。

 

世を捨ててるので、もう仏教の修行しかありません、在家がお坊様の命を支えることになります。

 

非常にまじめに、修行に励んでいるお坊様もいらっしゃいます。

 

しかし、出家して世を捨ててることになっているのに、黄褐色の袈裟を着て、在家と同じことをして、破戒しまくっているお坊様もいます。

 

こちらのほうがタチが悪いです、見分けがつかないので、一番タチが悪いです。

ましてや、サンガを破壊してるので重罪です。

 

他人を欺く者は、自分自身も欺きます。

逆も言えます、自分を欺くから、他人を欺けるんでしょうね。

 

早く、自分の重罪に気づいて、「捨てて、捨てて」ほしいです。

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学ぶことの落とし穴―脳がロックされてしまう

善友から、まだ読んでいなかった本を紹介されました。

わかりやすく、とてもいい本だということで、いま読んでいるところです

 

スマナサーラ長老の仏教塾

スマナサーラ長老の仏教塾

 

 

ここに、こどもについての記述があったので引用します

 

学ぶことの落とし穴―脳がロックされてしまう

 

―子どもは、みんな幼いころはすごく明るいですね。なにがってもニコニコしています。なかなか落ち着かなくて、いつも元気いっぱいです。でも成長していくと、明るい子がいつの間にか暗くなっていきます。小さいときあんなに柔軟だったのに、心はしだいに固くなっていくんですね。どうしてそうなるのでしょうか?

 

学ぶことで、かえって閉鎖的になって心が閉じてしまうことがあります。

それは、学ぶことで脳が「ロック」されてしまうからなんですね。

学校で学んでいく過程で、脳がダメージを受けてしまうからなのです。勉強することで、脳が「ロック」されてしまうからなのです。

 

―はあ、脳がロックされてしまう・・・。もう少し、詳しく教えてください。

 

わたしたちは、なにかやるときには、初めてだとやり方がわからないし、習得するまで、ずいぶんとまどいます。けれども、何度も繰り返していくうちに、脳がそれなりのシステムを作り上げます。

やがてシステムに従って、効率よく自動的に動く回路が出来上がります、そうすると、何も考えずにさっとできるようになる。いわば「機械」のようになるのです。

ただ、ここで問題があります。いつもその回路を使うようになるので、他の回路は使わなくなります。すると、その回路だけに脳か「ロック」されてしますのです。そうなると、新しい回路を作ろうとしなくなります。

新しいものを覚えよう、新しいことにチャレンジしよう、という姿勢がなくなってしまいます。新鮮な学びが消えていくのです。そのなると脳が固くなって、柔軟な心がなくなってしまうのです。

 

 

わたしたちは、いわば「ロボット教育」を受けてきた

―なるほど、脳の回路が固定されてしまうわけですね。そうすると、いまの教育もそういうところがありそうです。子どもたちに、好奇心の芽を育てて伸ばすというものではなくて、教科書にあることを型どおり覚えさる、というわけですから。そうなると、しだいに脳がロックされてしまうのですね、それで子どもたちから明るさが消えていく・・・。

 

 

私たちが受けてきた教育は、いわば「ロボット教育」なんですね。けっして「人間教育」ではありません。人間として、「どう生きたらいいのか」ということは、学校では教えてくれません。

学校教育は「会社でどうするか」という「ワザ」を教えているようなものです。「まじめに効率よく仕事をする機械」のような人間を作ろうとします。それは企業の側からすると、とても生産効率がいいわけです。そういう労働者がたくさんいたほうがいい。

しかも私たちは喜んでそのような機械になろうとします、そうしていつのまにか機械人間のような生き方になってしますんですね。

 

ーそうしたワザとかテクニックは、効率よく仕事をするときには力を発揮しますね。でも仕事を離れたらどうでしょうか?

 

そうした能力は仕事を離れたら使えません。職業を取り上げられたら、生きるすべがなくなってしまいます。自分の満足のいく生き方には、役に立たないものです。

 

いきいきと人生にチャレンジするとき、助けにならないんです。

やっと会社を離れた、お金もある。「さあ、これからどう楽しんで生きていこうか」というとき、すこしも役に立たないのです。だから退職したとたんに生彩がなくなるひとが多いわけです。

定年退職するというのは、この「ロボット人生」」が終わることです。仕事がないとさみしいかもしれませんが、ありがたく思ったほうがいい。いままでの「ロボット人生」に決別して、自分の生き方を自分自身でチャレンジするぞ、と。「人間に戻って生きることを学んでいこう」と、スタートを切るチャンスなのです

 

脳にロックをかけない唯一の方法は、生きることを学ぶこと

ーところで脳にロックをかけない方法ってあるのですか?

 

引用終わり、続きは購入してお読みください

 

 

子どもについての記述かと思ったら、定年退職者にまで言及してました。

私もヤバイですねえ。

 

 

子どもといえば、小学校1年生の子に接する機会がありました。

 

アパートの部屋のドアから、パンツとシャツ姿で、飛び出してきて「ママ、どこなのー」と大きな声で泣いてました。

 

びっくりしました、訊いてみると、両親はちょっと買い物に行くので留守番を頼んだそうですが、寂しさに耐えられず、部屋を飛び出してきたみたいです。

 

しょうがないので、服を着るように言って、部屋に戻らないみたいなので、駐車場で待つことにしました、すわって膝にだっこしたら、だいぶ落ち着いて、名前、通っている学校、いろんなお話をしてくれました。

 

でも、突然「こんなところで待っててはダメだ、さがしにいく!」と言い始めましたが、なだめて、なだめて、待つことにしました。

 

子どもって、100か0ですね、面白いです。

本人は真剣です、大人では考えないことをやろうとします。

最高ですね。

こういったことを、大人になるにつれ、捨てているのか、隠してしまうんでしょうね。

 

20分後くらいに、ちゃんと両親が迎えにきました。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。

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キンドル版が無料 「ブッダが教えた本当のやさしさ」

2月頃、下記の本の紹介をしました。

oldmanbuddhist.hatenablog.com

 

いま、キンドル版限定ですが、無料でダウンロードできます。

 

アマゾン、仏教の売れ筋ランキングで一位です。

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いつまで、無料かはわかりませんが、嬉しいです。

 

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