おっさんの仏教メモ

テーラワーダ仏教をいろいろ考えるおっさんのメモ

献血で廻向

空いた時間ができたので、献血

問診をしてくれた先生から、キリのいい献血回数だね、と指摘されました。

 

回数は言えませんが、なるほど、と思いました。

 

善友で献血されてる方はいらっしゃるのかな、と探してみたら、真言宗のお坊様の木下全雄様がいらっしゃいました。

 

献血と廻向について、わかりやすい文章がありました.

下記になります。

toukaidhammam.blog72.fc2.com

 

健康なかぎり、私の血液は必要な方にさしあげます。

仲介していただいてる日本赤十字社の皆さまに感謝です。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。

 

 

アビダンマ復習 貪根心

しぶとくアビダンマ復習です。

貪瞋痴のうち「瞋」と「痴」は、自分なりに復習しました。

 

「瞋」について

アビダンマ復習 瞋根心について - おっさんの仏教メモ

 

「痴」について

アビダンマ復習 痴根心2 - おっさんの仏教メモ

 

いよいよ「貪」です

「貪」は字のごとく貪り、欲のことです。

 

アビダンマでは、貪の心、貪根心は8つあります。

 

貪根心の場所になります。

貪根心8は、まず心89は、欲界心54、色界心15、無色界心12、出世間心8があります、さらに欲界心54には、不善心12、無因心18、浄心24、があります、さらに不善心12は、貪根心8瞋根心2、痴根心2になります。

 

8つですね。

 

喜倶 悪見相応 無行

 

喜倶 悪見相応 有行

 

喜倶 悪見不相応 無行

 

喜倶 悪見不相応 有行

 

捨具 悪見相応 無行

 

捨倶 悪見相応 有行

 

捨倶 悪見不相応 無行

 

捨倶 悪見不相応 有行

 

分解すると

 

喜倶

喜びの感覚

 

捨倶

平静な感覚

 

悪見相応

邪見を伴って

 

悪見不相応

邪見を伴わない

 

無行

自然に自ら

 

有行

自他によって勧められて

 

力は、1が一番強く、8が弱いです。

 

 

だから、

うれしく、よろこんで、悪いことをやったところで問題はない、と自ら進んでやる

(人のものを取る、とか、悪い行為を行う)

というのが、一番悪くタチが悪い。

 

 

私の場合、一番、ピンときたのは、飲酒でした。

 

1番を当てはめると

たぶん、喜んで楽しみにしてて、有害なものを飲んだところで問題はない、と自ら進んで行う。

 

 

飲酒を8番に無理矢理当てはめると

特に楽しいとも思わない、平静です、飲酒は良くないと思っている、でも、年上の人に無理矢理進められて、仕方なく一口つける。

 

というところでしょうか?

 

1番はエンドレスでリピートしますね

8番は次回からやらない可能性があります。 

 

悪いことと知ってて、楽しむつもりで、喜んで、自ら進んで行う「欲」が一番危ないというか、気を付けることなんでしょう。

継続して、エンドレスでやってしまいますから。

 

 

仏教は悪いことを明らかにしているので、物事をする前に、善悪の判断をしてから、やったほうがいいです、少しでも貪瞋痴を避けることができれば、それだけでも十分です。

 

以上で、アビダンマの「不善心12」が終了です。

 

生きとしけるものが幸せでありますように

 

 

 

スリランカのお寺

空き家を譲ってもらい、新しくスリランカのお寺が出来る予定です。

頼りになる善友の協力で、お寺が始まります。

 

私自身、大して何もやっていないので、せめて時間のあるときは草むしりでも、と思い、空いた時間に行ってきました。

 

何かしら拠り所ができるというのは、いいもんです。

 

たぶん、スリランカの善友たちは、建物を派手に飾るんだろうなあ、と想像しているところです。

 

善友一人一人が得意なことを活かして、何しかしら貢献できればいいなあ、と思っているところです。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。

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お盆といえば お墓参り お仏壇参り お寺にお参り

住んでいるところとは別のところに、先祖のお墓、実家にお仏壇があるので、お参りに行きます。

 

最近はお盆といっても、形骸化してて、形骸化してるくらいならやめようということで、官公立の施設、企業でもお盆休みが無いところが増えてます。

 

お寺さんは、本気で考えないと、日本からお盆の習慣が無くなるかもしれませんね。

 

お墓参りに行くと、念入りにお参りする人、さーっと来てさーっと帰っていく人、様々です。

 

せっかくのお盆ですから、いろいろな昔話や、亡くなった方の思い出話を子どもに聞かせるのもよし、逆にわからないことを親や年上の方、お坊様に聞くのもよし。

 

私は、家内の実家の仏壇のお荘厳をおかあさんからいろいろ聞きました。

 

家内の実家は浄土真宗本願寺派西本願寺)で、お仏壇の前に日常勤行聖典が置いてあり、その本にお仏壇のお荘厳(飾りつけ)の仕方が掲載されてました。

 

本の通り、ほぼ正確で、おかあさんが日々努力してお仏壇を維持していることがわかります。

 

 

本願寺派のお荘厳の図です、真ん中は阿弥陀様になります。

荘厳法―勤式指導所―浄土真宗本願寺派

 

 

話は変わりますが曹洞宗のお荘厳です、真ん中はお釈迦様になります。

www.sotozen-net.or.jp

 

日本の宗祖仏教で培った文化なので、お荘厳にいい悪いはありません、ただ、個人的な印象だと曹洞宗のほうが、シンプルでわかりやすいですね。

 

 

お仏壇のお荘厳の話にしても、面白かったです、わからないことは何でも尋ねるお盆です。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。

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お盆といえば「餓鬼事経」4

「死者たちの物語」 

パーリ語「petavatthu」(ペータヴァッツ)

 

小さなころ、「お盆には、亡くなられた方が戻ってくる」と、大人から言われました。

 

仏教では、とくにお盆と限定しなくても、人間とやりとりできる餓鬼(幽霊)が、人間と出会い、悲喜こもごも、いろんなやりとりをします。

 

餓鬼は死者でもあり、幽霊でもありますので、亡くなられた方に出会うというお盆の趣旨にかなってます、というか、お盆の源流はペータヴァッツなのですが・・。

 

読みました、お盆に読むのはとてもいい本です。

 

 

 

死者たちの物語―『餓鬼事経』和訳と解説

死者たちの物語―『餓鬼事経』和訳と解説

 

 

 

はじめに

一部引用します

『餓鬼事経』は、ペータ(peta死者・餓鬼)を共通のテーマとして、全部で51の偈経というか物語を編纂したお経集です。物語の多くは、前世で悪業をなして餓鬼界に生まれた者、(いわゆる幽霊)が人間の前に姿を現して(不思議なことに、『餓鬼事経』に登場する人間たちは餓鬼を見ても怖がりません)、自分が前世で行った悪業と今受けている苦しみから救ってほしくて、人間に功徳廻向を頼みます。その場合は人間も心得たもので、たとえばお布施をして、その功徳を餓鬼に廻向して救ってあげます。

 

 

物語を徹底的に貫いているのは、「善因楽果」「悪因悪果」「因果応報」です。

ここに、ひとつのブレもありません。

 

読むと、悪いことから、とっとと離れて、善いことを積まなくっちゃ、という気になります、その気にさせることが、このお経の目的なのだと思います。

 

充分、その気にさせる本でした。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。

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お盆といえば「餓鬼事経」(3)

お盆がきますので、下記の本を読みました。

 

死者たちの物語―『餓鬼事経』和訳と解説

死者たちの物語―『餓鬼事経』和訳と解説

 

 

 購入したことを忘れてて、危うくもう一回買うところでした。

サンガからも出ています、こちらは、まだ読んでいませんが

 

初期仏教経典 現代語訳と解説―餓鬼事経―死者たちの物語

初期仏教経典 現代語訳と解説―餓鬼事経―死者たちの物語

 

 

 

サーリプッタ尊者の、四つ前の生の母が、サーリプッタ尊者の功徳廻向を受け取り、天女になりました。

 

功徳を指定しないと、餓鬼の心を変えることができないようです。

 

藤本先生の「仏教の正しい先祖供養」から引用です

 

人間のような体を持たず、ただ前世の悪行為の苦果を味わうだけの餓鬼道では、自分でほかの餓鬼たちに布施などの善行為をしてその功徳で救われることはできません。人間界の縁者など、自分とコンタクトできるだれかの善行為を一緒に喜ぶ、随喜という心の善行為を作るしか、功徳を生むチャンスはありません。

しかも、おそらくケチや嫉妬、やっかみなどのために餓鬼に生まれたからでしょう、餓鬼は他人の善行為をただ素直に喜ぶことはできないのです。他人の善行為がわざわざ「あの餓鬼のためになりますように」と、自分に振り向けられ、廻向されたときだけ、「ああ、この善行為は素晴らしい」と共鳴して、やっと素直に喜べるのです。

 

 

感想です

 

本では、廻向は餓鬼道にいる方のみにためになる、とあります。

天人(天国)だったら、人間の功徳が必要ないくらい恵まれています。

地獄だったら、地獄はアクセス不可能なので廻向は届きません。

人間や畜生は廻向は必要ないとのことです。

 

人間の、ケチ、やっかみ、怒り、嫉妬、という感情はタチが悪くて、直さないまま死ぬと、次の生まれは餓鬼道なんでしょうね。

でも、この悪い心はかなり頑固です、かたくなです。

 

ピンポイントに指定して、廻向しないとダメなのですね。

 

お布施のときに、ピンポイントに餓鬼に廻向する、善行への随喜の心が生まれる、随喜の心で、悪い頑な心が変わる、餓鬼が変わる。餓鬼道から抜け出せる?

 

 

 

私の関わりのある方も餓鬼道にいるでしょう。

 

普段のお参りは

「生きとし生けるものが幸せでありますように」ですが

 

お盆のお参りは

「餓鬼道にいる生きとし生けるものが幸せでありますように」と廻向して、お参りしたいとおもいます。

 

 

せっかくのお盆ですので、お盆の意義を調べてみるのもいいのではないでしょうか?

下記の本が、本当に勉強になりました。

藤本先生ありがとうございました。

 

仏教の正しい先祖供養: 功徳はなぜ廻向できるの? (サンガ新書)

仏教の正しい先祖供養: 功徳はなぜ廻向できるの? (サンガ新書)

 

 

お盆といえば餓鬼事経(2)

お盆といえば餓鬼事経

お盆のルーツは餓鬼事経です。

 

藤本先生の本から引用します。

 

仏教の正しい先祖供養: 功徳はなぜ廻向できるの? (サンガ新書)

仏教の正しい先祖供養: 功徳はなぜ廻向できるの? (サンガ新書)

 

 

続き

[偈](詩文)

母のことばを聞いて、慈悲深いウパティッサ(サーリプッタ尊者)は、モッガラーナアヌルッダ、カッピナに相談した。

四つの房舎をつくって、房舎と飲食を四方のサンガに布施し、母に布施を指定した。

指定するやいなや、結果が生じた。食べ物・飲み物・衣服、これが、布施による果報である。

それから清浄な、種々に飾られた衣服と装身具を身につけた、カーシ地方産のものより勝れた清らかな衣を着た女餓鬼が、コーリタ(モッガラーナ尊者)に近づいた。

モッガラーナ]「天女よ、なにによってそなたはこのような姿となり、荘厳されたのか?前世で人間であったとき、そなたはどんな福業(福徳を受ける善い行い)をなしたのか?」

[女餓鬼(天女)]「私はサーリプッタ尊者の母です。土色の肌で痩せ、飢え、裸で悪趣に堕ちていた私を、衆生にたいする慈悲をおもちの尊者がごらんになり、尊者のみなさまが、お坊様がたに大いなるお布施をして、その布施をわたしのために指定してくださいました(功徳廻向してくださいました)

その果報を、ここにご覧ください。わたしは千年ものあいだ、種々の味と香りに満ちた飲み物や食物を享受するでしょう。カーシ地方産のものよりはるかに優れた、数々の絹や毛糸、木綿の衣服が、わたしにはあります。また澄んだ冷たい水に満ち、芳香ある青蓮でいっぱいの池で、私は楽しみ沐浴します。

尊者よ、衆生にたいする慈悲の心をおもちのみなさまを礼拝するために、ここにまいりました」

 

[後日譚]

さて、マハーモッガラーナ長老は、その顛末を世尊(ブッダ)にお話しした。

世尊はそのできごとをきっかけとして、集まった会衆に説法された。その教説は、たくさんの人びとに利益あるものとなった。

 

女餓鬼はお布施を指定して、やってくれるように、お願いしてます。

 

でも、女餓鬼にお布施しても、住む世界が違うので、お水をお布施しても飲むことができないし、食べ物をお布施しても、喉をすり抜けるか、食べ物とは違うものになってしまい、食べることができません、服をお布施しても違うものになり着ることはできません。

 

女餓鬼は、何を受け取るのでしょうか?

 

本では、「功徳を廻向した」とあります。

「尊者のみなさまが四方のサンガに、大いなるお布施をして(善行為)をして、その功徳が女餓鬼(母)にありますように」と言葉で表現し、心で願ったのだと思います。

 

女餓鬼はおおいなる功徳を受け取ったのですね。

 

功徳の力は絶大です。

 

 お盆ですので、餓鬼事経のメモは続きます。