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おっさんはbuddhist

お釈迦様の教えは、宗教ではありません、調べて、確かめて、実践する教えです

箭経 サッラスッタ 死の見かた(2)

箭経はまだまだ続きます

箭経 サッラスッタ PDF

http://gotami.j-theravada.net/sallasutta.pdf

 

お釈迦様は「死」に関して、いたって、あたりまえのことをおっしゃります。

 

『業 / 苦 / 死』より引用

 

575

生まれた者が死なずにすむ、その手立ては何もなし。

「老いて老いて、死に至る」。生きるものにはこのきまり。

 

なんの方法もないのです、生まれた人が死なずにすむ方法などは。

誰でも老いて死にます。それが命あるもの、生命の法則です。これは従うしかない「法則」なのです。老いて死に至ることを免れる方法はありません。

これはごく単純な理屈です。少しも難しくない、まったく当たり前のことです。問題は、こんな当たり前のことなのに、我々の心の中には何か「絶対それだけは認めてやらないぞ」という気分があることです。

死を免れる方法は絶対にない、どうせ死ぬ、とみな知っています。それなのに、心のどこかで、堂々とそれを否定するのです。笑えるほど無智なことではありませんか。そのような無智な願望はなんとかしてください、老いて死ぬ、これは当たり前のことですよ、とお釈迦様はおっしゃっているのです。

 

 証拠は一切ないのに、他の宗教は死や死後を美化したり、「浄土に行った」「天国に行った」「神に召された」とか言ってます、娑婆よりいいとこなのなら早く死んだほうがいいんじゃ・・。

 

仏教は、楽観的でもなく、悲観的でもなく、事実を厳然と見ています。

 

また、当たり前だと思っています。

 

ほとんどが、どうせ輪廻するので、「たいしたことではない」とも見ています。

 

サッラスッタはまだ続きます。

 

 

アルボムッレ・スマナサーラ法話選1―業/苦/死
 

 

箭経 サッラスッタ 死の見かた(1)

箭経は、お釈迦様の死に関するアドバイスであり、死をどう見るべきか、説いてます。

 

箭経 サッラスッタ

http://gotami.j-theravada.net/sallasutta.pdf

 

南方の国々の人々は、お葬式とかに、このお経を唱えて、お坊様は、このお経を元に説法します。

 

死に対して当たり前のことが書いてあるのですが、当たり前のことを理解しようとしませんね、私もそうです。

 

例えば、一緒に仕事をしていた取引先の担当者が急に亡くなる。とか

「この次、一緒に〇〇〇しましょう!」と約束した、親しい方が急に亡くなる。とか

ちょっと動揺します。

 

 

この間、義母(83歳)と世間話

この間、従兄弟に、「都合がついたら、一緒にお寺に行って、過去帳、見に行こう」と約束したのに、「おれ、病気なったみたい・・」と連絡があって、あれやあれやと悪くなって死んでしまった。とのこと。

 

そして義母が「あと、お坊様にも聞きたいことあるんだけどな。」

 

それを聞いた私、「いつ死ぬかわからんから、明日にでもタクシーに乗って行ったほうがいいよ」

 

私も含めて、だいたいの方は、明日も生きているだろう、と思っているんですね、でも厳密に考えるとなんの根拠もありません。

 

『老病死に勝つブッダの智慧』より

箭経の引用と長老の解説です

 

574

徴(しるし)もなし。予告もなし。この世の人の命というものは、

惨めなもの。儚(はかな)いもの。その上苦しみに陥っている。

 

最初の「徴もなし」とは、なんの前触れもなしに、突然、死が訪れるという意味です。まるで地震のように、何も予兆はありませんし、いつ来るかわかりません。本人が気づかないうちに、「これから頑張って生きてやるぞ」と思っている間に、死んでしまうものなのです。

 

中略

 

死ぬということは、驚くほどのものではありません。

ひとかけらの苦しみも無く、満面笑顔で喜びだけで生きていられるならば、死んでしまってはもったいないと言えるかもしれません。しかし理性を働かせてみれば、とてもそうは見えないのです。

生きることは、惨めで、儚くて、苦しみばかりです。それなのに死ぬことだけを大変な不幸と考えるのはどういうわけでしょうか?

 

 

 

なんだか、突き放されているような文章ですが、理性で考えると、「死はそういうものだよ」ということです。

 

仏教の目的は悟ること、目的を後回しにせずに、とっとと励みなさい、死ぬかもしれないのだから。

 

日常のやるべきことも、とっととやりなさい、「死ぬかもよ」ですから。

 

本書では、長老の偈の解説はまだまだ続きます、下記の本になります。

 

 

最新刊もありました

 

 

[新装版]老病死に勝つブッダの智慧

[新装版]老病死に勝つブッダの智慧

 

 

 

 

 

 

動物に心配してもらう

「慈悲の実践」は、お釈迦様の世界をインスタントで体験できます。

コンパクトに仏教の大事な部分を網羅しています。

#jtba【慈悲の実践(瞑想)フルバージョン】

 

「安い 早い うまい」のインスタントは嫌いじゃないので、

読んですぐ体験です。

インスタントに関する法話

巻頭法話(98) 一言で知る仏教の全て<1> 2003年4月

 

 

慈悲の実践の解説書

『みーんな生きとし生けるもの 上巻』に

長老が、お寺にいる犬に心配してもらう話があります。

微笑ましいです。

 

犬もわかっているんでしょうね。

 

残念ながら、私はまだ動物に心配してもらったことがないです。

 

「みーんな生きとし生けるもの 上巻」より引用

 

他者に対して優しい心で対応することができますように

 

心配した犬からのプレゼント

 

私は、犬からプレゼントをもらったことがあります。

ある犬のことをすごく心配して面倒をみてあげたら、犬も私のことを想って、プレゼントをくれました。

その犬がある日どこかへ行って、生ごみのあるところで探して、探して、とても大きな牛の骨を一つ見つけたようでした。その骨を、私のところに持ってきました。肉はもちろん腐っています。

私は「何をしているのですか。持っていきなさい、持っていきなさい」と言っても、持っていきません。なんだかくれるような感じだったので、冗談だと思って手を出したら、ちゃんとくれました。

私は人間だから、その骨は気持ち悪くて「これは犬がおいしく食べるものでしょう」と思い、マットの上に置きました。置いたら犬はすぐまた取って、私にくれます。ですから私はまたそれをもらって、またマットの上に置きました。

それを繰り返すこと三回。三回目に犬がこれを取って、私のベッドの真ん中に置いていったのです。それではっきりわかったのです。これは私に対しての犬からのプレゼントなのだと。

 

 

思いやりに関して、この犬に負けてしまう人間もいるのでは・・・。

 

可愛い写真で楽しく読める慈悲の実践の解説書です

 

みーんな生きとし生けるもの! 〈上巻〉

みーんな生きとし生けるもの! 〈上巻〉

 

 

 

みーんな生きとし生けるもの! 〈下巻〉

みーんな生きとし生けるもの! 〈下巻〉

 

 

自分の行動は自分の責任

自分の行動は自分の責任ですし、やってしまったことは自分の所有になります。

「業」ですね、「業」として所有することになります。

 

極端な例ですが「人を殺す」について

 

・精神的に問題がある方が人を殺す

・自分では殺さないが、部下に命じて人を殺す

無人飛行機を遠く離れたところで操作して人を殺す

・軍隊で隊長の命令で人を殺す

・相手に殺されそうになったので、相手を殺してしまう

 

仏教では、全部アウトです。全部やった人の責任になります。

全部、罪になります。

 

ブッダに智慧に学んで 子育てのプロになる」より引用

 

自分の行動は自分の責任

 

自分の行動は、すべて自分の責任です。犯罪者が精神鑑定にかけられて、責任能力の有無を調べられることがありませね。しかし仏教的にいえば、人間であろうが動物であろうが、必ず自分で判断してから行動しているのです。判断して行ったことは、自己責任になります。精神的に問題があっても「正しい判断能力がなかった」というのはおかしな話です。仮に相手を殺しているとしたら、「殺す」行為は自分の判断でやっています。自分で判断したという事実は、決してなかったことにはできません。

 

追い込まれて、自分の命がいよいよ危険になって相手を殺してしまうこともあり得ますね。その場合でも、やるかやらないかは自分で決めています。追い込まれて殺した場合など、事情によっては罪の重さは減ったりしますが、罪は罪です。

 

例えば、従軍した兵士は、実戦で隊長から「撃て」と命令されれば銃を撃ちまくります。その弾が誰かに当たって死ぬかもしれませんが、意図的に人を殺したかというと、ちょっと疑問が残ります。軍人だから命令に従わなくてはいけないのも事実です。だからといって、罪に問われないわけではありません。たとえ命令が間違っていたとしても、自分もその作戦に参加したのですから、やはり自分の行為の報いは受けます。そもそも軍人になったことからして自分の判断でしょう。中東でISのグループに入り、命令されて捕虜を処刑することになったら、それはISに志願した自分の責任です。殺人の罪は自分で背負うことになります。

 

仏教では、たとえ自分が殺されそうになっても相手を殺してはいけない、と教えます。殺さなかったら殺される、という場合は、たいてい相手を殺してしまうでしょう。「それも理論的には罪ですよ」と、仏教では強調します。正当防衛で相手を殺して寿命をまっとうしたとしても、たいしたことはありません。その時生き延びても、一年先が十年先かわかりませんが、どうせ死ぬののです。その場で殺された場合と、たいして違いはありません。生まれた私は、必ず老いて死ぬと決まっています。ほんのわずかにでも罪を犯す必要はありませんから、「じゃあ、どうぞ」と殺されてもかまわないのです。自分の人生がそれで縮まったとしても、短い人生を罪を犯さず立派に生きたことになります。

 

とにかく「自分の人生で罪を犯さない」と決めることです。この「決める」という働きだけは、いつも自分の心がやっています。自分の心が決めたのだから、その結果も受けなくてはいけなくなるのです。

 

 

自分のやった結果は自分のものになります。

このことに関して、曖昧さは無いです。 

仏教は緩いようでいて、いざとなったら厳しく言います。

 

それにしても、本当に「子育ての本」なのでしょうか?

表紙はかわいいのですが・・。

 

ブッダの智慧に学んで子育てのプロになる

ブッダの智慧に学んで子育てのプロになる

 

 

 

「ブッダの智慧に学んで子育てのプロになる」

久しぶりです、スマナサーラ長老の子育てに関する本は

目次を引用します

 

第一部 幸せな子育てとは

・子育てを成功に導く3つのポイント

  ・親の役目って何だろう

  ・(ポイント1)道徳を教えよう

  ・親は教えるべき道徳項目は

  ・地球基準の道徳を

  ・十善十悪

  ・まず親が道徳を守る

   (1)身体で行う行為三つ

   (2)口で行う行為三つ

   (3)意で行う行為三つ

  ・道徳まとめ

  ・(ポイント2)子どもは無条件にかわいい

  ・大人にとって子どもとは

  ・(ポイント3)人生は学校、親子は学びあい

  ・子どもは先生

  ・子どもは大人に宿題を提供する

  ・生徒から学んで教えに生かす

  ・生きることは学ぶこと

  ・一方的になりがちな親

 

・親子関係と業(カルマ)の真実

  ・親子の巡りあわせは業

  ・輪廻転生は終わらない

  ・必ず来世で会えるもの?

  ・業の決め手は心

  ・業の働きはデリケート

  ・悪業も人格向上のチャンス

  ・親子関係の業をチェックする

  ・子の性格は親の責任

  ・親子一緒に良い性格を目指す

  ・殺し殺される親子の業

  ・不幸になる親子関係は切ってもよい

  ・幸福になるための関係調整

 

・独立して生きるということ

  ・真の独立とは

  ・業が自分の所有物

  ・共存という生命の宿題

  ・みんな違って当たり前

  ・自分の行動は自分の責任

  ・独立とは調和を学ぶこと

  ・独立が問題になることが問題

  ・子どもに寄生しない

  ・自炊は独立のバロメータ

  ・生きている限り宿題に取り組む

  ・慈しみで生きるよう励み続ける

 

 

第二部 親子の出会いから別れまで

・出産の乳幼児の子育て

  ・難産や死産と業の関係

  ・お産がきついのは自然法則

  ・胎教に科学的根拠はない

  ・心を清らかにするのが唯一の胎教

  ・親の愛情は子の栄養

  ・子どもへのアプローチを変えてみる

  ・落着きのない子には集中する癖を

  

・学齢期の子どもと向き合う

  ・親は聞き上手になるべき

  ・子どものケンカになんと言う

  ・我が子がいじめにあっていたら

  ・いじめへの対応は大きくわけて三つ

  ・大事なのは生き延びる方法を見つけること

  ・介入しても問題をこじらせない

  ・どうしたら勉強する子になるか

 

・思春期は面白い

  ・思春期という移行期間

  ・思春期の長さはまちまち

  ・明るくユーモアでアドバイス

  ・ひとり親家庭は問題にならない

  ・支援すべきは経済的な問題

 

・自立を助ける

  ・職業は自己実現の道

  ・適正は業が決める

  ・仕事の定義に立ち返る

  ・業に気づくヒントをあげる

  ・子の適性を見誤らせる親の尺度

  ・子どもの結婚をどう考えるか

  ・結婚の主導権はいつでも女性

 

・親子関係のしまい方

  ・孫への愛情に要注意

  ・逆縁の不幸をどう考える?

  ・子育てが終わったら

  ・親子関係の最終段階

 

 

すごいですね、ほとんどを網羅してます。

サービス精神たっぷりの本です。

 

個人的に興味を持ったのは、親子関係と業(カルマ)。

これまでの子育て本で業に言及したのは無いでしょう。

 

業というと輪廻転生もセットで付いてきます。

 

業と輪廻転生は、お釈迦様も「考えてもキリがないのでやめときなさい」と言っているものです、本書では、業と輪廻転生の全貌を説くわけではありませんが、長老がわかりやく、親子関係の業の概要を説いてます。今世では説明できない親子関係を理解する助けになるかも・・。非常に興味深かったです。

 

167ページのかわいい本ですが、内容は非常に濃いです。

 

ブッダの智慧に学んで子育てのプロになる

ブッダの智慧に学んで子育てのプロになる

 

 

 

 

 

お釈迦様に誓ってしまったので守らなければ、ということです

冥想会で「懺悔誓願の文」を唱えます

下記の文です

 

懺悔いたします。

貪瞋痴(とんじんち)におおわれて真理を知らないが故に身体(からだ)、言葉、考えるという、三業(さんごう)によっておかしてしまった数々のあやまちがあります。

仏、法、僧、に対するあやまち、恩師に対するあやまち、生きとし生けるものに対するあやまち。
これ等いっさいのあやまちを懺悔いたします。

また、自分が受けた他の人々のあやまちも許します。

この様に雑事を離れ、独り静かに自己の心身を念をもって観つめるとき、瞬間、瞬間、変化生滅しつづける現象をヴィパッサナーによって洞察し、真の幸福を得て、解脱の道へ導かれますようにと、ここに誓願をいたします。

 

仏教は、後悔は怒りになるので、悪行為になるので、後悔はしません。

後悔ではなく「反省」がいいのかもしれませんが、仏教用語だと「懺悔」になります。

巻頭法話(88)「後悔」は美徳ですか? 2002年6月

 

話は「懺悔」ではなく

この懺悔誓願の中の一文

 

「また、自分が受けた他の人々の過ちも許します」です。

 

お釈迦様に誓ったのだから、許さなくてはいけないです。

どんなことでも気持ちよく許さなければならないです。

許したら、もう後腐れなく終わりです、二度と言いません。

 

ただ、自分に対する、最大の被害は「殺される」ことですね、それでも怒らずに許しなさい、ということです。

 

一般の方にはわかりにくいかもしれませんが、「殺されても怒るな」ということです。

 

中部経典「のこぎりのたとえ」より長老の文を引用します。

 

悪条件えを軽々と乗り越える

「怒り」は猛毒です。心に「怒り」が入ってしまうと、すべての行為が汚れて悪行為になってしまいます。怒っていることに気づいたら、すぐにその場で心きあら怒りを追い出さないと、大変危険なことになります。怒りは心の時限爆弾です。チクタクという音を聞いた瞬間に、解除しないと危険です。「怒り」は心にとって悪性の癌です。できるだけ早く切って捨てないといけません。

 

悟りを開くまでは、我々の心には「怒り」がしょっちゅう生まれます。「怒り」といっても、誰かに殴られて怒ってしまった、というような派手なものに限りません。気がつかないほど微妙な怒りが心の中に潜んで、四六時中、人格を蝕んでいくのです。わかりやすくいえば「笑えない精神状態」が怒りなのです。軽々と笑う心には「怒り」がありません。

 

お釈迦様の言葉によると、「極悪人にノコギリで手足を切られても怒らないようにしなくてはならない。そういう最悪の場合でさえも機嫌を悪くして怒る人は仏弟子にふさわしくない。「私は仏教徒だ」と胸を張っても、日々怒りの制御に励まないならば仏弟子とはいえない」ということになります。

 

 

 

 

 しぶとく暗い怒りで人の過ちの怨み続けるくらいなら、殺されそうになっても、怒りを捨て明るい気持ちでいなさい。

 

仏教は緩いようで厳しいです。

でも「お釈迦様に誓ったんだし、怒らないし、許します」

仏教徒はグダグダ考えず、許す、ということです。

 

 

下記の本より引用しました

 

 

 

子育て 親の役割

このブログを始めてから、けっこう子育てに熱心というか、子育てブログの多さに驚きました、世間に本当に疎いです。

 

長老の子育て関係の本は以外と少ないです

 

挙げてみます

 

 

13歳へ (よい親も、よい先生も、あなた次第)

13歳へ (よい親も、よい先生も、あなた次第)

 

 

 

[新版]13歳へ 13歳のチカラが世界を変える

[新版]13歳へ 13歳のチカラが世界を変える

 

 

 

 

 

 

下記が最新刊です、決定版のような内容です

ブッダの智慧に学んで子育てのプロになる

ブッダの智慧に学んで子育てのプロになる

 

 

私の子育てはもう終わりつつあります、というか、子育てした、という実感がありません、家のことは家内に任せていた無責任父さん、ということもあるかもしれません。

 

家内に、子育てについて聞いてみました。

「たいしたことしてない、いつのまにか大きくなった」とのこと。

 

保母さんをしている娘は

「いま、2歳児を担当してるけど、子に過保護な親は、子どもは勝手に育っていくことに、いつかは気づくんだろうね、でもいつ気づくんだろ?」

気づかなければ、かえってヤバいです。

 

 

ブッダの智慧に学んで子育てのプロになる」

引用です。

 

親の役目って何だろう

これから「子育て」の話をする前に、一つ大事なことをお伝えしたいと思います。私たちは深く考えないまま「子育て」と言っていますが、現実の親子関係に即せば、その言葉は正しくないのです。子どもは勝手に育つものです、日本のことわざで「親ななくても子は育つ」と言うでしょう。まったくその通りです。子どもは親が育てるものではありません。「子どもを育てなくては」と悩むのは、親の勘違いで、子どもはいつでも自分の力で、自然に育っていくものです。

 

では、親の役目とは何なのでしょうか。親はせっせと我が子の面倒を見て、多くのことをしてあげます。しかし、赤ちゃんは泣きたいときに泣くものです。決して親の都合で泣きやんではくれませんね。親が何かをやってあげたといって、結局、親の希望通りにはいかないのです。

 

例えば、子どもが教育を受けるための学費を払うのは、親の役目だといえます。子どもが大学に行って勉強したいとなったら、学費が必要です。もちろん「アメリカの大学に留学したい」と言い出したら、「それはちょっと払えません」と断る権利は親にもありますが、子どもの希望に賛成するなら、学費を払うのは親でしょう。

 

昔は、子どもに仕事えお教えるのも大切な親の役割でした。生まれつき身分が決まっていて、農民の子は必ず農民にならなくてはいけないという時代が長く続いたからです。しかし、現代社会は違います。子どもは自分の意思で、自分の仕事を決められるのです。そういう社会では、子どもの仕事選びについて親は特段することはありません。

 

 

そうそう、親の役目は学費を払うことぐいらいですね。

私も、学費を支払う親でした。

 

しかし、本書では学費を払うこと以外に、「道徳を教えること」について書かれています。

 

あと、すごいと思ったのは「親子関係と業(カルマ)」についても書かれています、これは初めてではないでしょうか? 

難しい「業」をわかりやく説いています。

 

詳しくは、本書をお読みください。