おっさんは仏教徒

お釈迦様の教えは宗教ではありません、調べて、確かめて、実践する教えです

病気のときの気づきを大事に

一分で読むブッダの教えより

 

我々は健康なときには、悪い性格が表に出ないようにしていますが、病気になると、わがまま、不満、不親切、人と仲良くできない、雰囲気を悪くする、人に当たるなど、いろいろ嫌な性格が表に出てくるものです。その機会をうまく捉えてほしいと思います。

本来、自分の性格はこういうものであったと気づくきっかけにしてください。

そして、できるだけ早くその性格を直さなければいけないと気づいてください。

 

以前、「お釈迦様のお見舞い」で、病気の比丘たちにお釈迦様は何を説いたのか説明しました。

oldmanbuddhist.hatenablog.com

 

説いた内容は「大念処経」をコンパクトにした内容で、いかに気づきが大切か、冥想の大切さを説いたものになっていて、別に病気の方ではなくても、健康な方にも該当する内容でした。

 

仏教を学ぶようになってから、大病をしたことはありませんが、病気になると、健康なときに隠れていたものが次から次へと出てくると思います。

 

人を困らせるような性格が出てきたら、たぶん、それが元々持っていたものなのでしょう。

 

健康な時って、自分の心や体に鈍感です。

貪瞋痴にまみれることが当たり前だと思い、体もスムースに動くので、まじめに観察しようとは思わない。

 

でも、病気になると、いままで当たり前だったことが出来なくなるので、必然的に心や体に敏感になります。ここで、自分の嫌な性格にも敏感になってほしいですね、ここで気づかないと、死ぬまで自覚のないまま生きることになります。

 

身体は、もう思い通りに動きませんので、必然的に敏感になります。

冥想にいいですね。時間もたっぷりあるだろうし。

 

大病して入院したら、冥想三昧だな、と勝手に思っています。

その前に死んじゃう可能性もありますので、健康な時も、病気の時も、真面目に冥想ですね。

 

死を回避できる程度の病気だったら、逆にチャンスと思って、観察、気づきに集中です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

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小さな過ちにこそ気をつける

ダンマパダ 一日一話より

 

その報いは来ないだろうと思って、

悪を軽んじてはいけない。

水が一滴ずつしたたり落ちるならば、水瓶を満たす。

愚かなものが、

些細な悪を積み重ねるならば、やがて悪を満たす。

悪を積むならば、

やがてわざわいに満たされる。

ダンマパダ121

 

 悪行為の貯金ですね。

どんな小さな額でも悪は悪。

満期になると、どんなことが起きるのか・・

むちゃくちゃ怖い話です。

 

善行為の貯金は満期になるまで、けっこう努力をしなければなりませんが、悪行為ってすぐに貯まってしまうのかも・・。

 

生きてると知らず知らずに悪業の貯金もして、貯まった悪業に気づいて、なるべく悪業は避けて、善行為の貯金も始める人もいます。

 

善業が、悪業の残高を追い抜いていればなんとかなる、という話ではないかもしれませんが、悪業の残高を増やさないように注意です。すぐに貯まりますので・・。

 

話はそれますが、自動車事故って一つの原因では起きにくいそうです。

複数の原因が重なって、はじめて事故につながるとのこと

 

 

主な原因は

 

悪天候

スピードの出し過ぎ

眠気

前方不注意

車の整備不足

 

やばいと思ったら以上の原因をつぶしていくしかないです。

 

悪業も、どんどん重なっていくと、車の事故みたいに、なにかしら、やばいことが起きるのかもしれません。

 

人生で損はしたくないので、悪行為には敏感でありたいです。

 

読んでいただきありがとうございました。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

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「巧みな人」とは

ブッダの教え一日一話より

 

「巧みな人」とは、仕事でも何事でも、どれくらい無駄を減らせるのか、短い時間でよい結果を出せるのかという能力、テクニックをもっている人のことです。

 

こう書くと仕事を連想しそうですが、仕事も巧みになることも大事ですが、仕事だけでなく、生きていること全てのことですね。

 

私自身巧みな人ではないので、分野で得手、不得手があります。

 

特に不得手は「整理整頓」

 

たぶん、始める前に、イヤになってしまう、たぶん、この時点でアウトなんでしょうね。

 

「イヤ」という感情が起きる前に、さっさと行動、行動するうちに小さなコツをつかんだりします。

 

整理整頓を下手だけど、「捨てる、残す」の判断は出来ます。

当たり前のことですが、まず、最初に「捨てる」と整理整頓がすごく楽になりました。

これが「巧み」の第一歩かな、と勝手に思っています。

 

得手の分野は、食事を作りながら後片付けができます、食事が出来る頃には、台所は片付いてすっきりしてます。

 

なぜ、これが他に応用できないか? 不思議です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

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傾いた基礎

ブッダの教え一日一話」より

 

人を恨み、人の過ちを許せない人は、心が育ちません。

「許さない」という心は、土台が傾いているようなものです。

傾いた土台の上に建物を作れば、そのまま傾いて、いつか壊れてしまいます。

だから、恨みはさっぱりと捨てることです。

 

以前の記事で「ずーっと持っている心」で、人から受けた、やな思いを大事に持っているという話をしました。

oldmanbuddhist.hatenablog.com

 

やな思いを捨てずに大事に持ってると、元々が悪いので、仏教の瞑想とか、大切な実践が進みません、実践するつもりがなければ、大事に持ってればいいです。

仏教徒もやめればいいです。

 

「恨み捨てますか、仏教徒捨てますか?」くらい大事な案件です。

恨みを捨てずにダラダラ仏教徒してるのは意味がないなあ。

 

これに気づかず、ダラダラ仏教徒のなんと多いことでしょうか。

 

ちょっと辛口になりましたが、捨てるしかないのですね。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

 

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幸福を求めて不幸になる

「一分で読むブッダの教え」より

無智な生命は、刺激を受けることは楽しい、幸福なことだと勘違いして刺激を追い求めます。けれども刺激が欲しいというのはわがままです。

刺激が欲しければ、刺激をくれる六つの器官、眼・耳・鼻・舌・身・意に頼らなくてはいけません。刺激を受けるために、見るもの、聞くもの、食べるものをずっと探し続け、それに依存しなければなりません。しかし、依存すると自由、自立を失います。自由がなくなると、わがままは通じなくなります。そこに矛盾が生じます。

 

 

ある日のわが家の新聞折り込み広告

①ホームセンター 生活用品

②通販広告 マッサージチェア

③スーパー 食料品 3枚

④電器店 家電用品

⑤衣料品店

⑥ドラッグストア 薬、食料品、生活用品

 

折り込みチラシは、ほとんどが我々の身体を維持するため、購買意欲を刺激する情報しかないです。

 

衣食住薬 に関することです。

 

もう、あたりまえだと思ってます。

 

間違っても「幸福になりますよ」とか「幸せになりますよ」というチラシは、ありませんね、怪しい宗教勧誘と思われるかもしれないです。

 

衣食住薬は、身体を維持するために必要なことですけど、「必要→欲しい」になったらヤバイんじゃないでしょうか?

 

「欲しい」というときりがないですし、理性を失った「欲しい」が止まらない状況を「依存」というのかもしれません。

 

依存になってしまうと、「自立、自由」を失う、とあります。

その通りですね。

 

物事は「必要」程度にとどめておくのがいいでしょう、他にやるべき大切なことがたくさんありますし、自由を失いたくないですから。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

お幸せでありますように。

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何でも笑いの原因

「一分で読むブッダの教え」」より

 

気楽に生きる人にとって、世の中で何が起こっても、それは冗談や笑いの原因であって、悩みの種ではありません。

出家している我々にとっては、もう何が起ころうが、すぐ笑えます。「あっ、大変だ。どうしてこんなことが?」ということは、ないのです。

それが幸福というものではないでしょうか?

 

仏教徒は、緩くて気楽です、たぶん自分が死んでしまうことも冗談や笑いの種にしますね。

 

「あっ、大変だ。どうしてこんなことが?」という事象も笑いの種にしますね。

 

自分に、心に引っかかる悩みの種があるとして、よく見てみると「本当にこれが深刻な悩みの種なの?」また、よく見てみると、「この悩みで、最悪でも、たぶんこの結果かあー、たいしたことない」で終わるパターンもあります。

 

悩みはたいしたことない、むしろその悩みが原因で、心が落ち込んだり、怒ったり、後悔したり、欲が出たり、「心の状態」を重視しますね。

 

仏教徒は緩いですけど、「心の状態」を見ることに関しては、妥協はないです。

 

いろんなことが自分に降りかかりますけど、よい心の状態で接したいです、というか接するしかないんですね。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

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幸福感は楽や辛さでは量れない

 

「一分で読むブッダの教え」より

 

「幸福」とは何でしょうか?

第一に「不満がないこと」が幸福だと言えます。

ご飯を食べてもあまり満足できないのであれば、幸福とはいえませんね。満足できれば幸福を感じるでしょう。それはおにぎりを食べることが幸福なのか、ウナギを食べることが幸福なのかという比較の問題ではありません。「あなたは、何を食べると満足を感じますか」ということなのです。なにを食べようとも、満足を感じたところが幸福なのです。

もう一つは「充実感を味わえること」です。

「ああ、よかった、意味のあることができた」という気持ちになれば、難しいことをやっても、苦しいことをやっても気分がよいですね。たとえ、体力を使うきつい仕事をやったとしても、「よくやった」という充実感が生まれるなら、そちらに幸福感があるのです。

ですから、辛いとか、楽しいとかが幸福のバロメーターではないのです、肉体的に辛くても幸福なときはあります。逆に、肉体的に辛いとこはないのに不幸なときもあります。

 

辛い、楽しい、は、そのときの主観的に感じることであって、幸福感とは関係ないよ、という話でしょうか?

 

具体的に「やったぞー」と充実感こそに幸福感がある、ということでしょうか?

 

私自身、最近、継続的に勉強をしなければいけなくなり、半日かけて、部屋のいらないものを捨てて、勉強できるスペースを確保しました、ささやかですが、なぜか、嬉しかったです。

 

下記の記事を参考にして勉強のスペースを作りました。

 

www.ikedahayato.com

 

新たなスペースを作ることで、別のことを始めることができた、ということです。

www.ikedahayato.com

 

以上、私自身のささやかな話で恐縮です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

 

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