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おっさんは仏教徒

お釈迦様の教えは宗教ではありません、調べて、確かめて、実践する教えです

日本の「般若心経」と、テーラワーダ仏教の「慈経」

写経によく使われる経典ですね、よく日本のお寺で唱えれます、暗唱できる方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 

日本の代表的なお経ですね

 

漢文とその訳になります

全文合わせて262文字(Wikiより抜粋)

 

仏説・摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊、度一切苦厄。舎利子不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智・亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切[15]顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経

 

 

 

般若波羅蜜多心経

観自在菩薩は、深き般若波羅蜜多を行ぜしとき、

五蘊はみな空なりと照見し、一切の苦厄を度したまえり。

舎利子よ、色は空に異ならず。空は色に異ならず。色はすわなわちこれ空なり、空はすなわちこれ色なり。受想行識もまたかくのごとし。

舎利子よ、この諸法は空を相とし、生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、減らず。

このゆえに、空というなかには、色もなく、受も想も行も識もなし。

眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香こ味も触も法もなく、限界もなく、ないし意識界もなし。無明もなく、また無明の尽くることもなく、ないし老死もなく、また老死の尽くることもなし。苦も集も滅も道もなし。智もなく、また得るところをなきをもってのゆえに、菩提薩は、般若波羅蜜多に依るがゆえに、こころにケイゲなし。

ケイゲなきがゆえに、恐怖あることなく(一切)の顛倒夢想を遠離して涅槃を究キョウす。三世のもろもろの仏も、般若波羅蜜多に依るがゆえに、阿ノク多羅三ミャク三菩提を得たまえり。

ゆえに知るべし、般若波羅蜜多は、これ大神シュなり、これ大明シュなり、これ無上シュなり、これ無等等シュなり、よく一切の苦を除き、真実なり、虚ろならざるがゆえに、と。

般若波羅蜜多なるシュを説く。すなわちシュを説いていわく、

掲帝 掲帝 波羅掲帝 波羅僧掲帝 菩提僧ワカ

般若波羅蜜多心経

 

 

すみません、赤文字の部分はパソコンで出ませんでした。

入力してて非常に疲れました 本当に仏説ですか?

意味わかりますか? 実践できそうですか?

 

 

私には無理です

 

 

ちなみにテーラワーダ仏教の南方の国々では、子どもから大人まで暗唱できる「慈経」という短いお経があります。

 

日本の般若心経みたいなものですね

 

スマナサーラ長老がパーリ―語を翻訳したものです。

慈経(メッタ・スッタ)

 

(解脱という)目的をよくわきまえた人が、

静かな場所に行ってなすべきことは(以下の通りである)

何事にもすぐれ、しっかりして、まっすぐしなやかで、

人に言葉をよく聞き、柔和で、高慢でない人になるように。

足ることを知り、手が掛からず、雑務少なく、簡素に暮らし、

諸々の感覚器官が落ち着いていて、賢明で、裏表がなく、在家に執着しないように。

(智慧ある)識者たちが批判するような、どんな小さな過ちも犯さないように。

幸福で平安でありますように。生きとし生けるものが幸せでありますように。

いかなる生命であろうともことごとく、

動き回っているものでも、動き回らないものでも、

長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、

短いものでも、微細なものでも、巨大なものでも、

見たことがあるのもないのも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、

すでに生まれているものも、(卵など、これから)生まれようとしているものも、

生きとし生けるものが幸せでありますように。

どんな場合でも、人を欺いたり、軽んじたりしてはいけません。

怒鳴ったり、腹を立てたり、お互いに人の苦しみを望んではいけません。

あたかも母が、たった一人んも我が子を、命がけで守るように、

そのようにすべての生命に対しても、無量の(慈しみ)心を育てることです。

慈しみの心を、一切世間(すべての生命)に対して限りなく育てることです。

上に、下に、横(まわり)に(棲む如何なる生命対して)も、

わだかまりのない、怨みのない、敵意のない心を育てることです。

立っているときも、歩いているときも、座っているときも、

あるいは横になっていても眠っていない限り、

この(慈悲の)念をしっかり保つものである。

これが梵天(崇高なもの)の生き方であるといわれています。

(このように実践する人は)邪見を乗り越え、常に戒を保ち、

正見を得て、諸々の欲望に対する執着をなくし、

もう二度と母体に宿る(輪廻を繰り返す)ことはありません。

 

 般若心経は難しい概念を説いているのでしょうか?

 

それに対し、慈経はわかりやすいですね、具体的です。

 

「あらゆる生命にたいして母のような慈しみの心を持ちなさい」

仏教がいかに「慈悲」を重視しているかわかります。

 

私、慈経のほうがいいです、毎日、唱えていたい。

 

 

これならがんばって実践できそう。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。

 

下記の本を勉強中です。

 

般若心経は間違い? (宝島SUGOI文庫)

般若心経は間違い? (宝島SUGOI文庫)