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おっさんはbuddhist

お釈迦様の教えは、宗教ではありません、調べて、確かめて、実践する教えです

冥想する場合は一人で自分の宿題として冥想する

初めて、初心者冥想指導を受けたとき、スマナサーラ長老から、「これからは、自分ひとりでやってください、宿題です」正確ではありませんが、そうおっしゃられた、ことを覚えています。

 

これからは、ひとりでやっていかなかればならないんだ、とヒシヒシ感じました。

 

ただ、ひとりでやると、いつの間にか、指導とズレが生じてきて、たまには初心者指導を受け直すのもいいかもしれないですし、法話会の際に、指導者に疑問に思ったことを質問しても良いのではないでしょうか?

 

「智慧の扉」より抜粋

 

冥想する場合は、一人で自分の宿題として冥想する。

 

ヴィッパサナー冥想を始める前にしてほしい自己チェックがあります。

 

①人の話を聞いて理解する能力があるか?

②正直で素直な人間か、人に自分をよく見せようとしていないか?

③やると決めたことをやり遂げるまで投げ出さない性格か?つまり熱しやすく冷めやすくではなく、やり遂げてから冷めろ、ということ。

この三つです。残念ながら、このチェックをすると、ほとんどの人は失格になるのです。仏教に興味を持つくらいですから、皆さん理解能力はあるでしょう。投げ出さない性格も訓練して身につけた人は少ないと思います。問題は②なのです。

 

冥想会に来る人は指導者に褒めてほしくて、他の人に「あの人は冥想している」と思われたくて、冥想を「演じて」しまうのです。これは建て前と本音という人間社会に根ざした問題です。私たちはたいてい本音を言わずに建て前で生きています。社会ではお互いを信頼していない、いたわり合ってないのです。これは個人にはどうしようもないことです。いきなり個人が本音を言いふらしたら、社会から追い出されます。ですから、誰でも建て前の自分を取り繕って生きているのです。そこで冥想する場合でも、誰かが見ていると、どうしても自分を飾ってしまう。そこで私は、「冥想は自分一人でこそこそやってください」とアドバイスをするのです。

 

冥想する場合は、一人で自分の宿題として冥想してほしい。そうすれば本音と建て前の問題が消えて、心はみるみる成長する場合があります。

 

 

「演じる」こと自体が、冥想の目的から外れています。

 

私の場合は演じるというか、最初の頃は、自主冥想会で、「あの人、すごいなあ、もう何時間も座る冥想している」とか「あの人は姿勢がいいなあ」と思ったり。

 

もう、そう思っていること自体 アウトですね。

雑念、妄想が頭の中を巡ってます。支配されてます。

 

その雑念、妄想に気づいて、観察できなければ、冥想でなくなります。

 

 

他の人が何やろうと、どう見ようと、思われようとも、関係なく。、

 

一番は自分のためです。

 

正直と素直で取り組む宿題ですね。