読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

おっさんは仏教徒

お釈迦様の教えは宗教ではありません、調べて、確かめて、実践する教えです

忙しい人の正体は怠けもの

仕事 日常生活 ダンマパダ 法句経より

これって、私のことです

会社の上司から指摘されました、「たまには、ふんぞりかえって、新聞でも読む暇くらい作れば?」

 

時間に追われて、というか、時間の使い方が下手で、結局、やるべきことができてなかったら、客観的に怠けものですね。

 

「忙しい、忙しい」で、もしかしたら大事なことを見落としているかもしれない、ということもあります、ですから、この法話は我が身のことのように感じます。

 

上司からは「オレぐらいだろ、おまえにこんなこと言うの」

ありがたいです。

 

 

「原訳 法句経 一日一悟」より

 

以前は怠るものであっても、

(それに気づき)怠らない人間になるならば、

その人はあたかも雲を離れた月のように

世を照らす

(ダンマパダ172)

 

中略

怠けものは時間をとても無駄に使います。こころがちっとも落ち着いていないから、彼らはいつも「忙しい」と言っているのです。それは生きることに失敗していることを意味しています。あまりにも真剣に「忙しい」というときほど、人はどこかで失敗しているのです。「やることが多すぎて忙しい」と言っても、一日の時間は決まっています。その範囲でやるべきことをやればいいだけの話です。それをやっていない人は、いつでも「忙しい」という強迫観念を抱いてしまうのです。本人がいくら忙しがっていようと、実際には仕事はほとんど片付いていないのだから、客観的な評価は怠けものということになるのでしょうが・・。でも、それは、いろんな仕事をさぼっていることへの言い訳なのです。

 

中略

 

ブッダは「怠けている人はものすごく忙しく振る舞う。怠けない人、おこたらない人は忙しく振る舞わない」と言われています。怠けない人は冷静に淡々と、やらなければならないことをしっかりこなしていきます。周囲から文句を言われるからといって、あせって、走り回ることはしないのです。

 

上記の偈に関する物語です

あるお坊さんがお寺で朝も昼も夜も掃除をしていました、お寺には長老がいます。その長老は毎日早朝のお勤めを終え、朝食を済ませると、一日中ずっと冥想をしています。すでに長老は悟られていました。もう一人のお坊さんは、朝から寝る時間までお寺じゅうを隅々まできれいに磨きあげていました。もちろんそのお坊さんはとても頑張っているつもりでした。それだけに彼は長老に対して不満を募らせていました。長老の姿が何もせず、ただごはんを食べて座っているだけのようにしか見えなかったからです。

 

お坊さんは長老に怒りをこめて言いました「長老様は信者さんから布施(食事)をいただいているのに何もしていないではないか」。すると長老は「怠ける」ということの本当の意味を語り始めました。

 

「人は自分の仕事を一生懸命にやるべきなのです。いったい、あなたは掃除をするために出家したのですか。解脱をするために出家したのではないですか?あなたは仕事をしていると思っているかもしれませんが、本当は怠けているのです。一分たりとも休んでいないからといって、自分はがんばっているなどと勘違いしてはいけません。あなたは相当ななまけものですよ」。

 

中略

 

何もかもやろうとするのは、ただ智慧がないというだけのことです。何もかもするのではなく、自分の本業をしっかりやり遂げること、それで他のことができなくなってもかまいません、怠けものに限って、何もかもやりたがるものです。もう一度ブッダの教えを思い出してください。「怠ける」という言葉にの本当の意味はなにか。それは「やるべきときに、やるべきことをやらないことだ」ということを・・。

 

いつも、どうでもいいことばかりやって、大事なことをやらない、そのくせ「忙しい」を連発する、ちょっとずつ、直していきます。

 

 

原訳「法句経」(ダンマパダ)一日一悟

原訳「法句経」(ダンマパダ)一日一悟