おっさんの仏教メモ

テーラワーダ仏教をいろいろ考えるおっさんのメモ

「素直である」とは

キンドルになりますが「怒りの無条件降伏」が3月13日まで無料でダウンロードできます、さきほど無料でいただきました、ありがとうございます。

 

中部経典 第21「ノコギリのたとえ」の和訳と解説になります

 

パーリ語の原文は pali text society,oxford,1993

パーリ聖典協会 - Wikipedia

当たり前ですが、きちんとした原文からの和訳になります。

 

一部 抜粋します

「素直」について

 

比丘たちよ、私は衣食住薬、生活必需品を得るために素直になっていることで、(真の)素直だと説きません。それはなぜでしょう。比丘たちよ、その比丘は、衣食住薬、生活必需品を得られないことになるならば、素直にならず、素直さに至らないのです。比丘たちよ、しかしながら、まさに、真理を尊び、真理を重んじ、真理を敬い、素直になり、素直さに至るのであるならば、私は、彼を、「素直である」と説きます。比丘たちよ、ですから、・・・私たちは真理を尊び、真理を重んじ、真理を敬い、素直になろう、素直さに至る者となろう・・・。と、比丘たちよ、あなたたちは、まさしくこのように戒めねばなりません。

 

解説一部抜粋

仏道に入った人が偽善的な素直さで行儀よく振る舞って穏やかな生き方をしても、必ず問題が起きるのです。信仰の厚い信者に恵まれて生活必需品に困ることなく楽に生活できるようになると、自分の生活水準を維持したくなります。そうなると、信者が喜ぶような、皆が感動するような生き方をしようとするのです。何かこれという悪いことをしたかというと何もしていないですが、その比丘に心の成長がないことも確かなのです。彼はお布施に恵まれずに不幸にならない限り心の汚れに気づくことはないでしょう。大きなお寺を任されて、その「偉い立場」を維持するために、行儀よく振る舞う場合もあります。これらの場合は、比丘が出家の真の目的を忘れているのです。真の目的は解脱することなのに、「信者さんの心を喜ばすこと、またはお寺を維持管理をすること」を目的にしているのです。ブッダの教えと実践を重んじるどころか、それは二の次になるのです。

 

「人が喜ぶことはなんでもやる」ということになって、出家なのに、祈祷も占いも、他の世俗儀礼も行うことになるのです。そうなると個人が破戒されるだけでなく、仏教そのものも堕落していくのです。

 

どんなお寺を任されても、どんなに裕福な信者に恵まれても、仏教の真の目的からは決して脱線してはいけないのです。それは、真理を重んじて、真理を敬って、真理のために素直になることです。真理というのはブッダの教えです。また、その教えを体験するための仏道です、解脱をして苦しみを乗り越えることです、解脱するために、、素直に行儀よく生活する人は、真に素直な人です。その人は、お布施があってもなくても混乱しないのです。他人に尊敬されなくても気にしないのです。ひたすら真理を目指して、解脱を目指して努力するのです。そのために素直になるのです、ブッダのアドバイスに耳を傾けるのです。

 

 

ほとんどのお寺は妻帯、お酒OK、僧侶というよりも僧職で、職業のひとつですね、我々在家と同じです、在家ですから、お金がなくなると心配しますし、檀家さん(取引先?)をご機嫌を損ねないようにします。

 

僧侶といっても我々在家と同じだから仕方ないのですが・・・

でも、どんどん仏教から離れていく感じがしますね。

 

それにしても、無料はありがたいです。

 

平成29年3月13日まで無料でダウンロードできます