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おっさんは仏教徒

お釈迦様の教えは宗教ではありません、調べて、確かめて、実践する教えです

ずーっと持っている心

自我 怒り

私の親戚に82歳のおばあさんがいるのですが、話し出すと、決まって、亡くなった夫の悪口になります、繰り返します。

 

「あのときは、あーー言われた、このときは、あーー言われた」

「あのときは、あーーされた、このときは、あーーされた」

 

口の悪い私は「もう、死んじまって、いないんだから、やめたら・・」

 

それでも、止みません。

 

怒りとか、憎しみの感情になるんでしょうけど、人間って、この手の感情をずーっと持ってますね。

 

ご本人は大切に持っているつもりはないかもしれませんが、いつまでも手放そうとしません。

 

人間は面白いです

楽しい思い出は当然大切にしますが、嫌な思い出も、なぜか、ずーっと持っています。

嫌な思い出の中で自分を見失わず、「あっ、今、自分は過去の嫌な思い出を引っ張り出してる」 と気づいたほうがいいみたいです。

 

仏教徒なら、どんな場合でも、相手を許さなければいけないので、許すと決めたら、後腐れなく許さなければいけません、だから、あとで愚痴は言いません。

 

仏教徒は、自分のために相手を許します

 

 

ブッダの智慧で答えます」 釈尊の教え・あなたとの対話より

【53】 慈悲の冥想について

 

抜粋

Q:「私の嫌いな人」に対して慈悲の冥想をすると、かえって腹が立ってくるのですが。

A:主観的に物事を見て、考えても解決はしません。主観は自分の好みですからね。
世の中で問題が解決できないのは、ひとりひとりが皆主観的だからなのです。自分の問題でも、他人の問題でも客観化すると、そこには自分も他人もないのです。あるのは、ただ『問題』だけ。そのように考えると答が出て来るのです。客観的に見れば、そこに解決方法がある、ということです。

 例えば誰かがケンカをしているとします。客観的に見ると「いくら相手が悪いといっても、あなた自身が怒りで悩み苦しむことは大変でしょう。相手のことには関係なく、静かな心をつくった方がいいのではありませんか」ということなんです。

 ケンカをして苦しんで、共感を求めて相談に来る人がいますが、僕だったらこう言うんですね。「あなたは相手に勝ちたいでしょ。だったら相手に対する怒りは捨てなさい」と。すると、「そんなことはできません。だって、あいつはああいうこともした、こういう悪いこともした」と怒るのです。そこで「あなたは結局、その人の操り人形になるのです。その人の意のままに怒らされたり悩まされたりしているのですから、あなたはもう、とっくに負けているのですよ」と。そして「向こうが何を言おうが、何をしようが、あっけらかんとして、きれいな心でニコニコしていれば、あなたの勝ちですよ。ですから怒りを捨てなさい」と言うのです。それが仏教的な言い方なんですね。

 難しいと思いますが、自分の心を育てて、しっかり物事を見られるようにするしかないんですね。だから、そのために、ヴィパッサナー冥想をやって、自分の心と体を客観的に見て下さいと言うのです。これは、『ある人間の研究』のようなものです。自分のことだけは外も中も観察できるのです。他人の中までは観察できません。

 今までは、欲と怒りしかわからないように教え込まれてきたのです。それを整理しないといけません。自分が刷り込まれている価値観、判断、知識はあまり当てにならないことを認識した方がいいのです。
 

Q:でもやはり、私を苦しめた人のために慈悲の冥想をすることは難しいです。

A:それに気づいていることはいいことなんですね。
しかし、嫌いな人がいることは、あなたにとって楽しいこと、幸せなことですか。嫌だと思う気持ち自体も自分の不幸でしょ。ですから本当は、相手を嫌いだと思う自分自身が、自分の不幸を作っているのです。

 何かで不快感を感じたら、その相手を好きになるよりは、イヤになる方がやさしいのです。でも、その人をイヤになったら自分が損をするばかりで、相手には全く関係ないのです。「あの人がイヤだな」と思うたびに自分自身が気分悪く、不愉快になって、自分の不幸を作ってしまうだけなんです。バカゲたことですし、論理的ではないでしょう。

 「あなたが幸せになりたいのなら、人のことを嫌いになるな」ということです。「敵を倒すな、悪い奴を許せ、というのはおかしいではないか」と言う人がいますが、そういう考え方に乗せられてしまったら、答が出てこなくなってしまうのです。

 人を嫌いになるのはとても簡単なのです。何の努力も要りません。
ですから我々は、いとも簡単に自分の不幸を作ってしまうのですね。心の安らぎをなくしてしまうのです。
だから要するに、「幸せになりたければしっかりしなさい」ということです。腰抜けで中途半端では、幸せになれるわけはないのです。幸せになるには、しっかりとした自信がないと幸せになれないんですね。相手の性格や言葉や行動が、自分にとっていくら都合悪くても、「人のことは嫌いにはなりません」と平気でいてください。なぜなら、人のことを嫌いになったら、その人のことを考える度に、自分が暗くなってしまいますからね。
 

 

 

 

「私の嫌いな生命も幸せでありますように」

 

口先で言うだけでなく、本気で、大真面目で。

 

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