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おっさんは仏教徒

お釈迦様の教えは宗教ではありません、調べて、確かめて、実践する教えです

お釈迦様に誓ってしまったので守らなければ、ということです

怒り お釈迦様 お経 経典

冥想会で「懺悔誓願の文」を唱えます

下記の文です

 

懺悔いたします。

貪瞋痴(とんじんち)におおわれて真理を知らないが故に身体(からだ)、言葉、考えるという、三業(さんごう)によっておかしてしまった数々のあやまちがあります。

仏、法、僧、に対するあやまち、恩師に対するあやまち、生きとし生けるものに対するあやまち。
これ等いっさいのあやまちを懺悔いたします。

また、自分が受けた他の人々のあやまちも許します。

この様に雑事を離れ、独り静かに自己の心身を念をもって観つめるとき、瞬間、瞬間、変化生滅しつづける現象をヴィパッサナーによって洞察し、真の幸福を得て、解脱の道へ導かれますようにと、ここに誓願をいたします。

 

仏教は、後悔は怒りになるので、悪行為になるので、後悔はしません。

後悔ではなく「反省」がいいのかもしれませんが、仏教用語だと「懺悔」になります。

巻頭法話(88)「後悔」は美徳ですか? 2002年6月

 

話は「懺悔」ではなく

この懺悔誓願の中の一文

 

「また、自分が受けた他の人々の過ちも許します」です。

 

お釈迦様に誓ったのだから、許さなくてはいけないです。

どんなことでも気持ちよく許さなければならないです。

許したら、もう後腐れなく終わりです、二度と言いません。

 

ただ、自分に対する、最大の被害は「殺される」ことですね、それでも怒らずに許しなさい、ということです。

 

一般の方にはわかりにくいかもしれませんが、「殺されても怒るな」ということです。

 

中部経典「のこぎりのたとえ」より長老の文を引用します。

 

悪条件えを軽々と乗り越える

「怒り」は猛毒です。心に「怒り」が入ってしまうと、すべての行為が汚れて悪行為になってしまいます。怒っていることに気づいたら、すぐにその場で心きあら怒りを追い出さないと、大変危険なことになります。怒りは心の時限爆弾です。チクタクという音を聞いた瞬間に、解除しないと危険です。「怒り」は心にとって悪性の癌です。できるだけ早く切って捨てないといけません。

 

悟りを開くまでは、我々の心には「怒り」がしょっちゅう生まれます。「怒り」といっても、誰かに殴られて怒ってしまった、というような派手なものに限りません。気がつかないほど微妙な怒りが心の中に潜んで、四六時中、人格を蝕んでいくのです。わかりやすくいえば「笑えない精神状態」が怒りなのです。軽々と笑う心には「怒り」がありません。

 

お釈迦様の言葉によると、「極悪人にノコギリで手足を切られても怒らないようにしなくてはならない。そういう最悪の場合でさえも機嫌を悪くして怒る人は仏弟子にふさわしくない。「私は仏教徒だ」と胸を張っても、日々怒りの制御に励まないならば仏弟子とはいえない」ということになります。

 

 

 

 

 しぶとく暗い怒りで人の過ちの怨み続けるくらいなら、殺されそうになっても、怒りを捨て明るい気持ちでいなさい。

 

仏教は緩いようで厳しいです。

でも「お釈迦様に誓ったんだし、怒らないし、許します」

仏教徒はグダグダ考えず、許す、ということです。

 

 

下記の本より引用しました