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おっさんは仏教徒

お釈迦様の教えは宗教ではありません、調べて、確かめて、実践する教えです

箭経 サッラスッタ 死の見かた(5)箭経の名前の由来

お経 経典

悲しみの箭(矢)を引き抜く

 

 

587

摂理によって死んでいく他の人々も見るがよい。

死期が近づくと、生命は震えるもの。

 

588

どのように思い願っても、起こることはその逆です。

(死なないようにと思っても、必ず死は訪れる。)

無常というのはそういうこと。世間の有様を見てごらん。

 

589

もし百年、あるいはもっと長く人が生きるとしても、

親族が死別する。ついに自分も命を捨てる。

 

590

それゆえ、覚者に学び、悲嘆を克服しよう。

逝った死者を見て、「この人、もはや得られない」と(知ろう)

 

591

家についた火を水で消し去るように、

智慧に満ちた賢者、巧みな人は、湧き起こった悲しみを、

風が綿花を吹き払うように、即座に消す。

 

592

自分の憂い、未練、悲しみを引き抜くこと。

自分の幸福を求める者は、刺さった(悲しみの)箭を引き抜くのである。

 

 「箭経」の名前の由来が出てきます。

箭は「矢」。

自分の心に刺さった悲しみの「矢」を引き抜きなさい、次の矢が刺さらないようにしなさい。

 

引用します

中略

そうするためには(悲しみが湧いてきたら、タンポポの綿毛のようにフッと流すためには)理性的な見方が必要です。それは故人を無視したり、死者を軽んじたりすることではありません。亡くなっても、親のことは大事にします。ただその悲しみだけを、パッと流してしまうのです。子どもが亡くなったら、その悲しみをなくしましょう、ということです。これは決して子どもを愛していない、ということではありません。子どもはすごくかわいかったし、長生きしてほしかった、けれども世の中は自分の期待通りにいかないから、思う通りに人生は運ばないから、それを嘆いても意味がないのです。だからこそ悲しみをなくすのです。それは忘れることではありません。子どもが死んでしまったら、忘れようにも忘れられません。そこを誤解してはいけないのです。子どもが死んだ事実は忘れられません「その悲しみをなくせ」、ただそれだけなのです。悲しんでもなんの得にもならないのですから。

 

「矢」は悲しみ、理性的になって、自分の心を壊す「矢」だけ引き抜きなさい。

 

悲しみに暮れる人にとってはかなり難しいことかもしれません、でも、それをやらないと、もともと期待通りにいかない人生がもっと悪くなってしまう・・。

 

イケダハヤトさんのブログに「箭経」が出てました、ぜひご覧ください。

 

www.ikedahayato.com