おっさんの仏教メモ

テーラワーダ仏教をいろいろ考えるおっさんのメモ

いい道具になろう

人間がマシンになる話ではないです。

 

人間の仕事をAI(人工知能)がとって代わる、という話でもありません。

 

 

役に立つ、必要とされる、ためには、いい道具になろう、という話です。

 

「もう迷わなくなる最良の選択」より引用

 

第8章 みんな社会のひとつのピース

 

「いい道具」になろう

日常生活を見回してみると、さりげない存在ですが、とても役に立っているものがいろいろあります。

たとえば、紙パックのジュースを買うと、裏側に小さなストローが付いてあります。人はジュースが飲みたいと思って買うのであって、あのストローが欲しいと思って買うことはありません。でも、あれがなかったら困りますね。必要とされています。立派に役割を果たしています。「じつに頃合いのいい存在だなあ」と、私はあれを見るたびに思うのです。

 

人間はすぐに「自分が、自分が」がと言って主役になりたがろうとしますが、あのストローはずっと脇役人生を歩んでいます。あのストローを生き方のお手本にしたらいいのではないですかね。

 

車のワイパーもいい仕事をします。あれがなければ、雨や雪の日は視界が悪いので車に乗れないでしょう。車のパーツの中ではけっして花形の存在ではありませんが、なければ困ります。とても役に立っています。

 

自転車のライトも役に立っています。乗っている人の視界を明るくしてくれるだけでなく、あの光によって車や歩行者が「向こうから自転車が来る」ことを認識できます。二重の意味でも危険を遠ざけてくれています。

 

社会の中で一つのピースとして役に立つ存在になるということは、そういった「いい仕事をする道具」になることと同じです。私たち人間も、社会の中においてなにかしら道具として役に立つために存在していると考えたほうがいいのです。そうしたら自我の入ってくるような余地はありませんから。

 

 

やはり、ここでも「自我」が出ますね。

「自我」がいろいろなことの障害になります、「やりがいがない」とか「こっちが儲かりそうだ」とか、「もっといいことがあるかもしれない」とか、なんか中途半端に迷ってますね。

 

グズグズ迷うくらいなら、自我の余地がないくらい、役に立つ道具に徹して、無くてはならない脇役になったらどう?という話です。

 

自我が無いので、たぶんうまくいくと思います。

 

シンプルで、とても好きな話です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

 

 

この本を見ると、長老の衣の色を連想してしまいます。