おっさんの仏教メモ

テーラワーダ仏教をいろいろ考えるおっさんのメモ

インターネット SNSが広まって・・・。

 

50歳を過ぎると、ネットとか、面倒で煩雑なことは避けたくなりますね。

 

インターネット、SNSは、ただの道具だと思うのですけど。

仏教徒は、善行為をするための道具として使いたいですね。

 

インターネット SNSが広がって、便利になったのか、良くなったのか、悪くなったのか、よくわかりません。

 

ただ、インターネットやSNSは、匿名の中にひそむことができるので、乱暴な言葉や、誹謗中傷を文字にして迷惑をかけることができます、これは殺生よりひどい悪行為です。

 

殺生は限度がありますが、良くない言葉は無限に発することができます。

 

発した人の心はどんどん悪くなっていき、発せられた人も傷つきます、ですからインターネット、SNSは、人間のこういった部分を現しましたね。

 

 

「苦を乗り越える宿題 怒らない、落ち込まない、迷わない」より

 

心の中にある鬼の卵を孵化させない

 

インターネットはいまや当たり前の存在になりました。SNSをやっている人も多いでしょう。私の母国スリランカの若者たちもSNSに夢中です。

インターネットやSNSの普及により、はっきりした事実があります。それは人間はとても恐ろしい生き物だということです。誰かの発言を他の人がよってたかって攻撃する。口汚くののしる。世間は美しい人間が集まるところではないと露呈してしまったのです。

直接顔を突き合わさなければ交流できなかった時代は、いまほどあからさまに人を非難したりできませんでした。誰かを非難すれば、当人に逆襲される恐れがあるからです、誰かが家を訪ねてきたら、たとえそれが嫌いな相手であっても、丁寧にお辞儀をして「ようこそいらっしゃいました」と言ったものです。「この野郎」と心で思っていても口にはしません。

人によっては、こうした行為を偽善だと否定するかもしれませんが、そうではありません。私たちの心は本来とても汚く、おぞましいものです、しかし行儀よく振る舞えば戒めることができます、心の中にある鬼の卵を孵化させずにすむのです。

一方、匿名で発言できるインターネットでなら復讐される恐れはまずありません。だから、汚い心を平気でむき出しにしてしまえるのでしょう。私たちはITという新しい技術と引き換えに、行儀よく振る舞って心を矯正するチャンスを失ってしまったようです。

それでもインターネットも良い学びの場になりえます。

たとえば、インターネットで発言するときは、「この文章を誰が読むかわからない。だからこそ、しっかり考えて書かなければいけないんだ」と思って投稿内容を吟味すれば、不要なトラブルを防げます。また人の書いたものを読むのも勉強になります。私も他人が書いた記事を見ては、日本語の使い方や表現の仕方、スラングなどを勉強しています。

後略

 

 

いろいろな新しい技術が出ても、仏教の立場は変わりません。

悪いことは悪いですし、悪いことは避けなければいけません。

 

インターネット、SNSを悪行為にどっぷり浸かる道具にしてはいけません。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

生きとし生けるものが幸せでありますように。