おっさんは仏教徒

お釈迦様の教えは宗教ではありません、調べて、確かめて、実践する教えです

マハーシサヤドーと現代のヴィッパサナ―瞑想法

ミャンマーのマハーシ大長老が、ヴィッパサナ―瞑想に関する質問に答えたQ&A集を、西澤先生(ウ・コ―サッラ元長老)が訳されたものです。

 

下記のよりPDFで読むことができます。

Vipassanaa Q&A マハーシサヤドーと現代のヴィパッサナー瞑想法(PDF) - ヴィパッサナー通信 Vipassana news (blog版)

 

マハーシサヤドー

ヴィッパサナ―冥想に多大な影響を与えた大長老です

マハーシ・サヤドー - Wikipedia

 

西澤先生

還俗されて大阪でカウンセラーをされてます

でも、テーラワーダ仏教の教えを日常に生かすことを目的に活動されています。

西澤綜合研究所

  マインドフルネスと仏教の智慧で人生を変える

 

 

西澤先生の著書です 

いろいろ悩みがあったので、西澤さんに訊いてみた。

いろいろ悩みがあったので、西澤さんに訊いてみた。

 

 

仏教先進国ミャンマーのマインドフルネス

仏教先進国ミャンマーのマインドフルネス

 

 

ウ・コ―サッラ長老時代のアビダンマの施本です

先生はアビダンマの権威です。

アビダンマはいまだにきちんと勉強していません、無料で読めるのに・・・。

施本PDF『アビダンマ基礎講義の参考書』とアビダンマ講義の動画・音声案内 - Theravada Online ゴータミー精舎日記

 

 

 

 

 

すみません、前置きが長すぎました

「マハーシサヤドーと現代のヴィッパサナ―瞑想法」

一部引用します

 

 

 

 

質問30

瞑想している人は病人のようにゆっくりと動く必要がありますか?

 

答え

瞑想している修行者は目が見えていても目が見えないように、耳が良くても聞こえないように、上手に話す智慧があっても話せない人のように、力があっても弱い病人のように実践します。

 

長老偈テーラーガータ501とミリンダ王問経に次のように示されています。

 

目がある人、見える人であっても見えない人のようであれ、(見えない人のように見えるものを無視して瞑想のみを実践するということです)

耳がある、聞こえる人であっても聞こえない人のようであれ、力がある人でも弱い人のようであれ、それ以外にできるならば、利益を生むように死体のように動かず横臥し、静かに横になっているべきだ。

(脚注 ヨギ(修行者)は病人のようにだけでなく死人のように動かずに横になっていなければならない。そのように静かにしていることによって目的が達する(用が済む)ならば死体のようにしていなければならない)

DHamma talk of Tuvataka sutta

 

瞑想している人は力があっても弱い病人のように実践します。普通に健康で元気な人は立つ、歩くなどは簡単にパッパッと早く行います。弱い病人はゆっくりと少しづつ、大変穏やかです。腰が痛い人などが立つときは少しづつゆっくりです。腰が痛くならないように注意しながらゆっくり立ちます。

今瞑想している人も弱い病人のように修行します。何であれゆっくり動かします。このようにゆっくり動かせば念、定、智慧が良く動きに追いつきます。ですから、始めはゆっくり動いて修行します。「立ちます、立ちます」と念じながら病人のようにゆっくり立ちます。病人っをまねします。それだけではありません。目が見えても見えない人のように、耳が聞こえても聞こえない人のようにしなければなりません。瞑想中は念じることだけが自分の仕事です。他の見る、聞くなどは自分の仕事ではありません。ですから、どんな変わったものを見ても見えないように、念じることを重視して修行しなけらばなりません。

自分の姿勢を変えるときも病気の人、弱い人のように少しづつゆっくりと動かします。手や足を動かす、曲げる、伸ばす、頭を垂れる、顔を上げるときなども静かに優しく動かさなければなりません。

(How to practice Vipassana meditation)

 

以上の文章は前々から知っていたので、冥想するたびに思い出します。

冥想のときは、病人のように、意識的にゆっくり行います。

でも、いつの間にか、早くなったりもしています。

まだまだです。

 

 

冥想と病気は、意外と深い関係があるのかもしれません

以前書いた文章です

oldmanbuddhist.hatenablog.com

 

近々、西澤先生を交えての勉強会があるので、とても楽しみにしています。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

生きとし生けるものが幸せでありますように。