おっさんの仏教メモ

テーラワーダ仏教をいろいろ考えるおっさんのメモ

仏教徒はこれに限ります

下記の本から引用です

 

 

「何のためにではなく、どのように生きるのかが大事」

「私はどうして生まれてきたのだろう」
「私は一体、何のために生きているのだろう」

 そんな疑問を、誰もが一度は抱いたことがあるのではないでしょうか。この世に生を受けたからには、何かしらの意味や目的があるに違いない。多くの人がそう考えているようです。

 はっきりいいます。生きることには意味も目的もありません。ではなぜ、生きているのか。死んでいないからです。生まれたから。まだ死にたくないから。だから、生きている。ただそれだけの話です。生きる意味も理由も、考えるだけ無駄なのです。

 「生きる」とは、人が頭のなかでつくり出した「バケモノ」だと仏教では教えます。生まれてから死ぬまで私たちはさまざまな行為をします。勉強する、仕事をする、ごはんを食べる、呼吸をする。こうしたあらゆるおこないを、生きる意味、あるいは理由だと主張する人もいるでしょう。けれども、そうではありません。

 よく考えてみればわかります。勉強するのも、仕事をするのも、ごはんを食べるのも、呼吸をするにも、すべては生きているからやらざるおえないだけです。違いますが?

 つまり、「生きる」とは、生きるためにしている無数の行為の総称にすぎず、実体があるわけではないのです。実体のない架空のものですから、意味や理由などはなからありません。考えるだけ無駄だといったのはそのためです。

 それにもかかわらず、人は「生きる」というバケモノに意味を見出そうとし、理由をつけようとして、挙げ句の果てに振り回されています。エネルギーと時間をこれほど浪費する行為がほかにあるでしょうか。

 私たちが考えるべきは、「何のために生きるのか」ではなく、「どのように生きるべきか」です。そして、どのように生きるべきかという問いに対する答えは、自分という人間を客観的に観察すればすぐに見つかります。

 だらしない、怒りっぽい、怠け癖がある、人を羨んでばかりいる――。誰にでもそういう部分はあります。それが私たちの性分です。

 しかし、性分だからといって放っておけば、いずれ報いを受けるのはあきらか。そうならないよう、自分を磨き、成長しなくてはいけません。だらしない人間だと気づいたなら、怠け癖を直す努力をする。怒りっぽい性格なら、怒りを手放せないか挑戦してみる。

 私たちはこのように、自分を見つめ、成長させようと精一杯努力しながら生きるべきなのです。

 人生の意味や目的をいたずらに考えるのは、ある意味、怠けです。瞬間瞬間、自分がすべきことに取り組んでいたなら、そのような些事を考える暇などないはずです。

●photo:CodiePie - Soul Searching by CodiePie<flickr
▼引用テキスト「怒らない、落ち込まない、迷わない 苦を乗り越える宿題 (幻冬舎
https://goo.gl/xGT1vn (単行本)
https://goo.gl/K2uGGJKindle版)

 

言葉は易しいのですが、仏教徒はこれですね、これに限ります。

 

どのように生きるべきか、とりあえず「人格向上」という目標でも置いてみましょうか?

 

スマナサーラ長老の仏教塾より

 

スマナサーラ長老の仏教塾

スマナサーラ長老の仏教塾

 

自分はなぜ生きるのか、そんなことに迷ったら、とにかく「人格向上のために生きる」と決めてしまうのです。

「なぜ、この仕事をするのか」「なんのために働いているんだろう」など、そんな思いに支配されてしまうときは、「すべては人格向上のため」にやっているんだ、と思えばいいのです。

人間はゼロで生まれてきて、いろいろなことを学びながら成長していきます。「できないことが、できるようになる」というところに達成感や喜びがあって、それを味わいながら、一歩一歩成長していくわけです、それが生きるということです。

そういった生きるいとなみの目的を「人格向上のため」と定めるのです。それを生きることのど真ん中におくのです。

それ以外のことは、いわば「俗世間的プログラム」です。俗世間のプログラムとは、仕事で評価される、出世する、お金持ちになる、自分のやりたい仕事につく、などです。

そういったものを人生の目的にしたら、あまりにさみしいことです。そういったことは「ついで」にやればいいのです。

お金を稼いだり、自分のやりがいを満たしたり、人から評価されたりするのは、すべて「ついで」の領域です。人格向上をするかたわら、生きていくのに最低限のお金が稼げれば、それで充分です、その「出来、不出来」に一喜一憂する必要はありません。 

 

 

 

「ど真ん中」と「ついで」という単語が効いてます。

 

人格向上を、ど真ん中において、あとはすべて「ついで」です。

仏教徒はシンプルに、これに限ります。

 

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