おっさんの仏教メモ

テーラワーダ仏教をいろいろ考えるおっさんのメモ

アビダンマ復習 瞋根心について

「貪瞋痴」の「瞋」は、よくいう「怒り」のことです。

 

仏教では「怒り」をテーマに数えきれないくらいたくさんの本が出版されていますが。

でも、アビダンマでは、「瞋」の分析結果は、たった二つです。

 

瞋根心の場所になります。

瞋根心2は、まず心89は、欲界心54、色界心15、無色界心12、出世間心8があります、さらに欲界心54には、不善心12、無因心18、浄心24、があります、さらに不善心12は、貪根心8瞋根心2、痴根心2になります。

 

本当に下記の二つしかありません。

「憂倶瞋恚相応無行」

「憂倶瞋恚相応有行」

 

 

分解すると

「憂倶」

「受」のひとつです

「受」は

3つだと「受、苦、不苦不楽」

5つだと「楽、苦、喜、憂、捨」

 

「受」の中でも、なぜか「憂」のみです。

憂は、憂いです、憂いは、「暗い心」

 

次は「瞋恚相応」

相応もいろいろあるのですが、なぜか「瞋恚」のみ

「瞋恚相応心」の起こる原因として、テキストでは。

①瞋恚の性質を持っていること(本来、瞋恚の性質を持っている人は容易に腹を立てる)

②人柄が軽薄であること(軽薄な人はたびたび、腹を立てては悲しむ)

③知識の狭いこと

④不好所縁を所縁とすること(気に入らないものとの出会い)

 

 

 

「憂倶瞋恚相応無行

「憂倶瞋恚相応有行

上記の二つの違いは「行」よる分類のみ、「無行」「有行」のみ

「無行」とは、自分から自律的にやること、行為としては強いです。

「有行」とは、他律的、人から勧められること、他人からの働きかけ、弱いです。

 

ここから、怒りの原因をあげると

暗い心、瞋恚の性質、人柄が軽薄、知識が狭い、気にいらないもの(こと)との出会い。

あと、先生から「非如理作意」という言葉もいただきました。

不善の心の原因は「非如理作意」、怒り原因も同じとのこと。

スマナサーラ長老は法話で「非如理作意」を「妄想」と言ってました。

「ものごとをありのままに」見ていない、ということになるのでしょうか。

 

ものごとをありのままに見ていない、暗い心、瞋恚の性質、人柄が軽薄、知識が狭い、気に入らないもの(こと、ひと)との出会い。

 

自分に当てはめると、これだけで、十分あてはまりますので、怒りながら生活してます。

 

やばいのは、怒りの原因が外にあるのではなく、ありのままに見ようとしない自分の中にあるということです、だからあらゆることに怒ってばかりいます。

 

まだまだ、アビダンマの入り口付近で右往左往しているところです、こうやって、分類、分析、数字で仏教を見るのも面白いです。

 

西澤先生、ありがとうございます。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。

 

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