おっさんの仏教メモ

テーラワーダ仏教をいろいろ考えるおっさんのメモ

アビダンマ復習 マンゴーの比喩

路心については、さまざまな比喩がありますが、テキストにマンゴーの比喩がありました。

 

人がマンゴーの樹の下で頭を蔽って臥し眠っているときに、熟したマンゴーが成り口から離れて彼の耳元の地上に落ちる。すると彼はその音に目を覚まし、眼を開いてマンゴーを眺める。そして手を差し伸べてマンゴーを取り、まずはそれに触れたり嗅いだりして、それが熟しているのを知ってからこれを食い、その食物を唾とともに飲み下してから再び横になって眠るのである。

 

分解すると

マンゴーの樹の下で頭を蔽って眠っている

「心が有分の流れとして意識下の状態にあることの譬え」

 

熟したマンゴーが耳元に落ちる

「色等の所縁が五門に現れてきたことの譬え」

 

彼はその音目を覚ます

「眠った人が目を覚ましたのは、有分が動揺させられて、五門引転心が警覚作用を行うことに譬え」

 

眼を開いて眺めたのは、前五識が見る等の作用をすることの譬え

 

手を伸ばしてマンゴーとるのは、領受心が所縁を所縁を領受すること

 

果物に触れてみるのは、推度心が所縁を推度することの譬え

 

果物を嗅いで、それが熟していると知るのは、確定心が所縁を判断確定することの譬え

 

果物を食うのは、速行心が所縁に対して完全な認識、または善悪の意思作用を行うことの譬え

 

口中の食べ物を唾と一緒に飲み下すのは、彼所縁心のあとに、彼速行作用による経験を保持することの譬え

 

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再び眠るのは、彼所縁のあとに再び有分に入るのに譬えたもの

 

このように、心が生じるに際しては、そこに他の命令や意志が働いて、有分心の直後に引転心になったり、あるいは引転心の直後に眼識になったりするのではなく、ただ心の法則のままに、所縁が現れる作用、引転心が有分心相続を断つ作用、眼識が見る作用などと、各々前後に混乱なく長く連なり、決定して生滅しているのである。

 

所縁  対象とか

引転 切り替える 表面的に

速行 善悪に意志作用

彼所縁 速行の所縁を所縁とする。

受領心 受け取る心

有分 認識できない心の流れ

推度心 調べるような心

 

 

 

認識の流れになります、これも「心」だということです

 

簡単なことでも、意識しなくて、人間はこれだけのことを、混乱なくあっと言う間にやってるということですね。それも生滅生滅生滅生滅しています。

 

あっというまにできなくなるときって、そこに好き嫌いが入ることかもしれません。

 

認識するまでは、誰でも一緒、そこから先は、好みが入ったりします、これはどういうことなんでしょう。

 

 

 

 

比喩で当てはめていくと、なんとか理解できます。

 

お幸せでありますように

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