おっさんの仏教メモ

テーラワーダ仏教をいろいろ考えるおっさんのメモ

お釈迦様の前ではみんな仲良く

最近、いろいろ思うところがあり、テーラワーダ仏教をやっている方が、日本仏教やお坊様を非難したり、テーラワーダ仏教内でも、檀家さんがお坊様を非難したり、檀家さん同志、仲がわるくなったりしたり、ということがあります。

およそ、仏教徒らしくないことです。

 

信仰している宗派が嫌になったり、お寺が嫌になったり、お坊様が嫌になったりする、ならば、宗派を変える、お寺を変える、お坊様を変える、「変えれば済む」と思っている方もいますが、本当にそれが根本の解決になるのでしょうか?

 

今の私にピッタリの文章があったので引用します。

 

パティパダー2014年11月号より

釈尊の教え・あなたとの対話

 

宗派を超えた和合

質問

テーラワーダ仏教を勉強し、冥想など実践されている方で、日本仏教やお寺さんを毛嫌いする方がおられます。複雑な気持ちです。確かになかには相当非のあるお坊様もおられるかもしれませんが、真面目で立派な方も多いかと思います。一生懸命お寺を支え、仏法を支えている檀家さんもたくさんおられます。お互い仏縁がある者同士として、宗派を超えて、思いやりを持って、仲良くしていくことは出来ないものでしょうか?

 

長老のお答え

非難することは自我

もし初期仏教を学び、ヴィッパサナー冥想を実践している人々が、他のお寺、日本仏教

全体のことを非難したりするということは、これは完璧な間違いです、偉そうに自我を張っているのです。冥想しても全然こころが成長していないという証拠になります。「あなたは自分の教えを守っていないのですよ」とそう言ってあげて下さい。

人を非難することは、お寺だけでなく他宗教に対しても、人間としてやってはいけません。私は教理学的に面白おかしく言っているだけです、私もいろいろなことを言います。それは非難、侮辱ではないのです。それは皆にできるわけではありません。

ですから、質問に「相当非のある方もおられるかもしれませんが」とありますが、私が知っている日本のお坊さんの中では、ほとんどそのような人はいません。ただ信者さんが怖くて、大人しくしているだけなのです。みんな本当に立派な方々なのです。私はたくさんのお坊さんたちを知っていますし、いろいろな本山にも行ったことがありますが、非のあるお坊様に会ったことはありません。私といろいろ言い合った若い人たちも、ものすごく立派な方々でした。それは若者だから何か言いたくなっただけの話です。

人を非難する時点で自我なのです。これは決してやってはいけないことなのです。私たちは他人の長所を見る目を持たなくてはいけないのです。そこから始まるのです。短所を見る権利は無いのです。短所を見る場合は、自分の子どもとか、学校の先生だったら生徒たちとか、それは短所も知っておかないと困ります、そこを直してあげなくてはいけないからです、社会では、私たちは、人の長所だけを見る色眼鏡を持っていたほうがいいのです。誰とでも仲良くすることが仏教でしょう、それが仏教の世界です。

 

「誰とでも仲良くする」仏教徒の生き方

世界の宗教の間で、かなりの争いがあるでしょう、イスラム教では、平和の宗教と言いながら、スンニ派シーア派が殺し合いをやっています。キリスト教でも昔からカトリックとプロステタントは争っています。今でもあまり仲は良くありません。

では仏教ではどうでしょうか?

仏教も宗派がたくさんあるのですが、ケンカをするのでしょうか?ケンカはしません。しきたりが違うのでわからないわからない部分もあるのですがケンカはしません。日本のお坊さんたちは。日本のお坊様も出来る範囲で、人格者として頑張っています。

私もこれからやりたいことは、そのような立派なお坊様たちを日本人に紹介したいのです。すごく立派な坊様に、いろいろアドバイスを受けたり、悩みごとをなくしてもらったり、人生を幸福にする道を教えてもらったりしないことは、とんでもない損なのです、大油田の上に小さなプレハブの家を作って住んでいるようなものです。ちょっと掘ってみれば、とてつもない得をします。

ですから仏教徒は「誰とでも仲良くすること」がひとつの生き方なのです。人間だけではないのです、動物など他の生命ともです。例えば、自分の家に幽霊がいたとしても除霊してはいけません「仲良くしましょう」という気持ちでいなければなりません。それだけです。

そういうことで質問にあった非難する方は、これは勉強不足で自我を張っているだけの話なのです。

 

 せっかく仏教を習っても、自我の張り合いをしていたら、滅茶苦茶になります。

 

仏教徒なら、自我を張ってはいけません。

自我を張って、誰とでもケンカをするのは簡単、非難するのも簡単。

でも、自我を捨てて、「誰とでも仲良くする」というのは、すごく努力を必要とする生き方です。

 

自分が気に入らなければ、宗派を変える、お寺を変える、お坊様を変える、というのは一見簡単な解決方法かもしれませんが、自分の自我と正面から向き合っていないので、根本の解決にならないし、ちょっとでも気にいらないことがあると、次から次へ変えていくでしょう。

 

なんで、気に入らない、という感情が起きるのか、考えてみれば・・。

 

お釈迦様の前ではみんな仲良く、というタイトルですが、目の前にお釈迦様がいなくても、いつでもみんな仲良く、が仏教徒です。

 

お幸せでありますように。

 

 

下記「ブッダラボ」のチエリさん、関連記事です。

さすがです、3年も前に、このことをご指摘してました。

thierrybuddhist.hatenablog.com