おっさんの仏教メモ

テーラワーダ仏教をいろいろ考えるおっさんのメモ

慈経(メッタスッタ)を覚える(21)第九偈 慈しみの心があるひとがブラフマーなのだよ

 

ブラフマー梵天)神様が出てきます、仏教は神様を信仰する教えではないので、神様を信仰しなさい、という話ではありません。

 

天界にいるすぐれた生命(神様)のように、慈しみの念をしっかり保ちましょう、という話ですね。

 

なんだか、神様を例のように出してる感じがします。

 

第九偈

 

ティッタン チャラン ニスィンノー ワー

サヤーノー ワー ヤーワタッサ ヴィガタミッドー

エータン サティン アディッテッヤ

ブラフマメータン ヴィハーラン イダマーフ

 

立っている時も、歩いている時も、

座っている時も、あるいは横になっていても、眠っていない限り、この(慈悲の)念をしっかり保っていてください。

これが梵天(崇高なもの)の生き方であると言われています。

 

 

分解します

 

ティッタン

立っているも

 

チャラン

歩いているも

 

ニスィンノー

座った(とき)も

 

ワー

また

 

サヤーノー

横たわっているも

 

ワー

あるいは

 

ヤーワタッサ

かぎりは であろう

 

ヴィガタミッドー

眠っていない

 

エータン

この

 

サティン

気づきを

 

アディッテッヤ

確立しているように

 

ブラフマメータン

梵天の これを

 

ヴィハーラン

生き方

 

イダマーフ

この(世)における

言ってます

 

くっつけます

立っている(とき)も歩いている(とき)も あるいは座った(とき)も

あるいは横たわっている(とき)も 眠っていないであろうかぎりは

この(慈しみ)の気づきを確立しているように、これをこの世のおける

梵天の生き方であると(識者たちは)言ってます。

 

 

協会訳

立っている時も、歩いている時も、

座っている時も、あるいは横になっていても、眠っていない限り、この(慈悲の)念をしっかり保っていてください。

これが梵天(崇高なもの)の生き方であると言われています。

 

 

 眠っているとき以外は、ずーっと慈しみの心でいて下さい、これが理想的な生命(神様)のような生き方です。ということです。

 

 

下記の本より引用します。

 

 

「本物の神だったら、すべての生命は平等に愛するだろう。そういう神はいないのだから、君が理想的な神様のような心を育てれば良いのではないか」

もしくは、ブラフマーの境地は人間にとって最高の道徳的な生き方なのです、これくらいの気持ちを育てることは人間にとって不可能ではありません。

 

眠っているとき以外は母のような気持ですべての生命を慈しんでください、ブラフマーの境地くらいにはなりますよ、ということです。

 

まず、ここが目指す目標になりますね、まだ途中ですが・・・

 

最後まで読んでいただきありがとうございました

 

生きとし生けるものが幸せでありますように