おっさんの仏教メモ

引っ越ししました。

アビダンマ予習  摂離路分別  臨終時の心相続

前回は所縁についてでしたが、心はどうなのでしょうか?

 

§34

臨終時の心相続

「その後、そのように現れた所縁を所縁として、異熟をもたらす業に応じて遍浄であり、あるいは染汚である心相続は、得られるべき有に応じて、そこに(得られるべき有に)傾くように、多く(の場合)間断なく生じる」

解説

そのように現れた後、現れてきた、或る所縁を所縁とする死ぬ直前の心相続は、善業が異熟をもたらす場合には好所縁が現れて来るから、それを所縁として浄らかな善心相続となり、また不善業が異熟をもたらす場合には不好所縁が現れてくるから、それを所縁として汚れた不善心相続となる。

しかも、この心相続は死後に得られるべきそれぞれの有に応じて、その有に傾くのである。例えば旅行にでかける人は、その準備をしていても行く先のことに心が向いているようなものである。

このように心相続はそれが、それが浄であっても不浄であっても、多くは次の有に向かって絶え間なく生じているのである。

しかし、このように心相続が生じるのは通常の死に方の場合であって、突発的な死の場合にはこれに従わない、その時点の路心相続が数回生じた後、同じく業・業相・趣相の何れかを所縁とする臨終の路が生じて死ぬのである。

 

 

心相続、浄であろうが不浄であろうが、次の有に向かって絶え間なく生じている。

流れは止まらないです。

 

 

 

話は変わります。

私自身、人の臨終に立ち会ったことないですが、藤本先生の本に臨終の話がありました。

下記の本から引用です

 

 

遺族の話では、意識も朦朧としていたのに死ぬ直前になるとあらぬ方向を見つめ、焦点もどこかに合っているし、しかも表情が喜びに溢れ、あまつさえ「〇〇さん、迎えに来てくれたのかね」などと故人の名前を呼ぶし、それからはすっかり落ち着いて、表情も生き生きとして、でも、じきに亡くなりました、とか。

死後しばらく経ってからの不思議話も含めれば、故人の部屋全体が金色に輝いていたとか、葬儀のとき、えもいわれぬ香しい香りがしたとか、これまで聞いたこともないようなきれいな音楽が聞こえたとか。

以上のようないかにも「良い」話は、お互いに言いたがるし聞きたがるので、実際起こったよりははるかにたくさんの事例があるかのように見えるでしょう。

逆のお話もあります。故人が死ぬ間際に急になにかに脅えるようになった。どこかあらぬ方向を見て、「来るな」とか「嫌だ」などと口走った。故人の部屋にいると悪寒がする。死臭ではなくなんとも嫌な匂いがする。などなど。

 

中略

 

世界中で言われる今際のこういう事例は、本当なのでしょうか?それとも本人が死ぬ間際で頭が混乱しているので幻を見ているだけでしょうか。遺族や縁者の場合も混乱した幻だと言えるのでしょうか?

 

仏教では、来世のことがこちらで死ぬ前に見えたり、わかったりすることもあると見ています、そのわけはこうです。

 

そのわけは、前回、前々回の記事で述べました。

業・業相・趣相をつかむと、そりゃ、いろいろわかってきます。

なぜつかんでしまうかも述べました。

 

 

最初は怖いなあ、と思いましたが、アビダンマをよく読んでみますと結生とか死についてそんなに怖がることはないなあ、と思った次第です。

 

臨終に立ち会っても落ち着いて接することができそうです。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。