おっさんの仏教メモ

引っ越ししました。

施しについて

宗教には「施し」「布施」がつきものです。

 

主にお金とか、物品とか、行為も「施し」になります。

 

お葬式でも「お布施」がありますが、日本の場合は読経とか、戒名の「謝礼」みたいなものですね。

 

「謝礼」は「施し」ではありませんね。

 

ここでは、亡くなった方にまつわるお坊様の「謝礼」の話はしません。

 

 

 

 

南方仏教のお坊様は、社会を捨てて、生計を得るのは禁止です、施しを促す行為も禁止ですから、在家信者の自主的な施しを受けて修行をしてます。

 

在家信者の「施し」が無ければ、仏教はとっくに滅びてました。

 

仏教徒の「施し」に関する決定版的な法話です。

巻頭法話(217) 与えるという行為

 

法話のポイントを引用します

 今回のポイント

  • 施しは基本道徳です
  • 施しを法律で義務づけてはならない
  • こころ清らかにする目的で施しを行う
  • 理性と区別判断能力が必要です
  • 施しを受ける人に人格向上する義務があります
  • 人類の幸福のために働く人に対する施しは大果になります

 

 

 

せっかく「施し」をするのであれば大果になったほうがいいですよね。

 理性に基づいて、よく理解した上で施しを行うならば、無知も減るのです。習慣的な施しでは、減るのは欲と怒りだけです。ですからお釈迦様が施しについて語る時は、

「誰に(どのように)施しをすれば大果になるのかと、理性に基づいて判断して施しをするべきである。理性に基づいて施しする人は、天界に生まれる。

 

 

 

 

 

自分なりに「施し」という行為の理解です。

 

「施し」が無ければ、仏教活動は成り立たない、と理解しています。

 

「施し」は修行であると理解してます。

理性で行う、ということも理解しています。

 

困った人を助ける、ということも理解しています。

 

人類の幸福のために働く人に「施し」をしたいです。

 

自分の心を良くするために「施し」をすると理解します。

 

 

みんながやっているから、とか、昔からの習慣だから、とか、良く考えないで行う「施し」はNGです。たぶん結果も悪いです。

 

せっかく、自分の何かを、役立てるために差し上げる行為ですから、無駄なことや、もったいない使い方をせずに、良く考え抜いて、自分の心のためにやってほしいです。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。