おっさんの仏教メモ

引っ越ししました。

あべこべ感覚(3)

「あべこべ感覚」という本があることを思い出し、早速、購入しました。

 

あべこべ感覚―役立つ初期仏教法話7 (サンガ新書)

あべこべ感覚―役立つ初期仏教法話7 (サンガ新書)

 

ここ最近、いろいろ人間のあべこべ感覚について考えることがあったのでタイムリーでした。

イムリーに本に出会うと嬉しくなります。

 

oldmanbuddhist.hatenablog.com

 

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ここ最近のあべこべは、舞鶴市で、大相撲の巡業で、市長さんが倒れて、救急救命のために土俵に上がった女性に対して、「女性は土俵から降りてください」というアナウンスです。

 

女人禁制は論理的でない伝統です

やや批判的なレポートもあります。

http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/933/1/59-1-zinbun-06.pdf

 

 

 

あと、日本仏教を覆う本覚思想です。

引用です

ちょっと考えてみてください。たとえば、お寺のお坊さんに「あなたは本覚的な如来仏だ」と言われたらどうですか?ちょっとありがたい気分になるかもしれませんが、なにか素晴らしいよいことがあるでしょうか?言われた通り、自分が如来仏だったとしても、ふだんの生活はどうですか?試験に落第することもある、仕事も失敗する、奥さんとケンカする、いろいろうまくいかなかったりするわけです。そんなとき、お寺のお坊さんに「あなたは如来そのものだ」と言われても、なんとも思わないでしょう。いくら自分が如来だと言われても、日常の問題はなにも解決できないのですから、よいことはなんにもありません。

 

本覚とは、衆生は誰でも仏になれる、ということ。

誰でも悟れるということ。

というか、もとから悟っている、とのことです。

大サービスですね。

本覚 - Wikipedia

 

修行無しで悟れるということはあり得ないんですが、この「修行」の部分が抜けているのです。

 

 

いかに人間の心や頭が、根拠のない習慣、伝統、儀式に縛られてて、目の前の大事なことをしないのか、わかります。

 

 

本に戻ります

帯の部分を抜粋します

お釈迦様から見れば、実際は皆、あべこべ感覚で生きています。では、なにとなにが、あべこべなのでしょうか?「本当のこと」と「世のなかの考え」があべこべです。「お釈迦様が言うこの世の真理」と「あなたを含めた世間一般の認識」と言い換えてもよいでしょう。具体的な例をあげてみましょう。例えば、人生は苦しいものです。これは真理です。しかし、皆、「人生は楽しい」と思って暮らしています。人間はいつか死にます。これも当たり前のことです。それなのに世の中の人々は「私は死なない」という幻想を抱いて生きています。

以上がこの本のすべてです、結論になります。

 

 

 お釈迦様は

「皆さん、本当のことはぜんぶあべこべですよ」と説きました。

 

どういうことなのでしょうか?

詳しくは本をお読みください。