おっさんの仏教メモ

引っ越ししました。

努力は必ず実る?

仏教でいうところの努力は「結果を出す」ということです。

 

よくスポーツ選手が「結果がすべて」とか、「結果」という言葉を口にします。

 

スポーツ選手以外でも、主に仕事なんかで「結果」「結果」と、よく言われます。

 

 

 

結果というと、その原因があるわけで、その原因が努力の中身ということですね。

 

結果にこだわるのもいいですが、原因をおろそかにして、結果は語れませんね。

 

 

原因を作るのは努力で

その努力の中身も、その人の能力とか、やり方とか、いろいろな要因があります。

 

優れた能力も、努力の要因のひとつです。

 

先生の下記の法話では、結果、原因、努力の話が出てきます、けっこう手厳しく結果、原因、努力の話が出てきます。

 

仏教は無駄なことが嫌いなので、結果のない無駄な労力は無智ということでバッサリです。

 

 

【83】努力は必ず実る

 

上記の文章は俗世間のよくある結果と原因と努力の話かな?と思ったら、いつのまにか仏教的な話になっています。

 

世間的な財産、地位、名誉を求める努力がありますが、いずれ手放してしまう目標なので、せっかく努力するなら理想的な努力を、と先生は説きます。

 

引用です

 

お釈迦さまは「理想的な努力は、こころの汚れを落とすことだ」とおっしゃっています。他のすべてのことは、一時的ではかないのです。たとえ総理大臣になったとしても、4年そこそこで終りでしょう。多くの女の子の夢であるバレリーナも、男の子の憧れるスポーツ選手も、本当に活躍できるのはせいぜい30才ぐらいまでです。たとえそういう夢のような職業に就いたとしても、それで「私の人生が成功した」と言うことはできないのです。世間的な地位や名誉は、生きる目標にはなりません。

 こころをきれいにすることは、どんな人間にも必要なのです。こころが清らかでないならば、いくら能力があってもしょうがないのです。強盗する人や殺人犯などは、いくら能力があっても、誰にも必要とされません。だから俗世間のことよりも、こころを清らかにすること、罪のない人間になることをがんばることこそすばらしいのです。俗世間のことは、生活のために何かそこそこのことを一つ選んで、それだけしっかりやればいいのです。

 自分の道を決めたら、他のことはきれいに捨てて、自分の道のためには今日何をするべきかというところで地道に前に進むべきです。そんなことは当たり前なのですが、人間には色々な欲があって、それをすぐに忘れがちです。「やっぱりあれもやりたいな、これもいいな」と考えてしまうのです。そうすると、頭が混乱状態になって、目標に達することは難しくなります。

 日々励むべきなのは、こころの悪を減らし、善を増やすことです。悪を完全になくして善を完成することは、理想的な目的です。「人は、目標に達するまで努力するものです」というのが、お釈迦さまの言葉です。

 

 

「理想的な努力は心の汚れを落とすこと」

「俗世間のことは、生活のためになにかそこそこのことをひとつ選んで、それだけしっかりやればいいのです」

 

俗世間の結果、原因、努力、目標は、うまくいったりいかなかったり、うまくいっても、自分から離れていったり、でも、善の完成の努力は自分から逃げていくことはないので、努力してみてはどうですか?という話です。そのために、遠い目標に心奪われずに、目の前にあることをしっかりやることが大事、ということなのでしょう。

 

読解力が弱いので、このあたりが限界です。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。